▼卒論研究の方法 |
卒論研究のスケジュール |
卒論研究のテーマ・対象の例 |
卒論研究テーマ発表会の要領 |
卒論研究テーマ発表会の例示 |
back to the"卒論研究の方法" |
卒論研究テーマ発表会の例示 |
T.「卒論研究テーマ」のとらえ方と「卒論」の構成の例
@「卒論研究」における「問題」のとらえかた。U.卒論テーマ発表の例 【〜「人と作品」研究発表の場合の例〜】
(1)レジュメの例
2000年度伊藤ゼミ卒論テーマ発表会レジュメ【例】1.問題設定
@トーマス・ベリッツ(Tomas Belitz 1947〜) ドイツ生まれの映像作家,ロサンゼルス在住
A『the Never Springs』(1991)に関する賛否両論→批評家は彼独自の映像パワーが喪失したなどと批判。「映画の魂を売った男」(中井,1990ほか)
B 関心テーマ・問題設定:
・個性的な作家の人と作品や、その映像スタイルの変化の過程について研究する。
・映画評論家の傾向や、ハリウッド映画界のプロデューサーシステムなどについても考証する。
・映画表現の芸術性と興業性という2つの側面について普遍化できるものが見出せないか探る。
2. 仮説とその分析のための方法・手法
@参考文献
○里中直哉:トーマス・ベリッツ,ドイツのヘンな映画男,伸樹社,1996
○コマーズ,トーマス・ベリッツ特集,キネマ旬報, Vol.126 8, pp14-26, 1995.10
(未)蓮見茂:コマーズの堕落・映画の崩壊,リュミエール, Vol.8 5, pp2-4, 1995.11
(未)コマーズブームいつまで, 朝日新聞(1996.1頃?…未確認)
A トーマス・ベリッツファンクラブWWWサイト http://webcat.nacsis.ac.jp/
B ビデオテープによる全作品の再検証。映像の比較研究。
3. 分析・論証
@年表・フィルモグラフィーの作成(作成中のものを別紙添付)
Aビデオテープ(下記の3本より抜粋:各15秒)による比較検証『de Foresten』(1987),『the Never Springs』(1991),『残雪の峰のキイル』(1996)
Bドイツ時代の短編アニメーションの研究→ドイツ文化センター視聴覚ライブラリーで閲覧予定
C“コマーズブーム”(ベリッツ・ブーム)による世界のサブカルチャーへの影響の調査
→広告・音楽・ファッションなどについての傍証(雑誌記事などの収集)
→雑誌「広告批評」いおける〈映画論争〉についての記事がある筈なので探している。
4. 結論(結論の方向性)
@ドイツ派評論家がカルト的に祭り上げていたという傾向についての論証。
Aハリウッドのプロデューサーシステムの適否に関する考察。
B世界の観客の多くは、ハリウッドが見出すことなしにベリッツに触れることはできなかった(要論証)。
結論:映画文化の交流に関する考察を行って結論の方向性としたい。
(2)発表原稿の例
1. 問題設定
私は、卒論研究のテーマに、ドイツの映像作家トーマス・ベリッツの人と作品をテーマとしてとりあげ、研究することにしました。サブタイトルは“『the Never Springs』以降の作品傾向への批評をめぐって”です。ご存知のように、『the Never Springs』という作品は、それまで一部の批評家だけに知られていた映画作家であったトーマス・ベリッツが、初めてハリウッドのメジャー資本によって制作し、彼の名を世界に知らしめたヒット作です。これは、彼のそれまの表現手法の集大成であると同時に、彼独自の映像パワーが喪失したものだとして、古くからのファンの離反を招いたという、賛否両論の問題作でもありました。
トーマス・ベリッツはその後もハリウッドで、『コマーズ』『残雪の峰のキイル』などを連作し、ヒットメーカーとしての地位を固め、また、その幻想的な映像描写がますます洗練されて、独自のスタイルを確立しているようにも思われます。しかし、一部の評論家からは、トーマス・ベリッツは、今ではハリウッド資本に屈して芸術性を喪った作家の典型例として述べられることが多いことも事実です。
私は、このような個性的な作家の人と作品を鑑賞するうち、とりわけその映像スタイルの変化の過程に多大な関心を抱くとともに、映画評論家から与えられる毀誉褒貶のうつり変わりや、世界市場をマーケットとするハリウッド映画界のプロデューサーシステムなどについても多くのことを考えさせれ関心を抱くようになりました。そして、ベリッツを研究することは、映画表現の宿命でもある芸術性と興業性という2つの側面について普遍化できるものが見出せるのではないかと考え、卒論研究のテーマといたしました。
2. 仮説とその分析のための方法・手法
現在私は、幾つかの文献や、ファンクラブのWWWサイトなどを手がかりに彼の年表を作成中です。また、里中直哉の著作を読んだり、映画のパンフレットや、「キネマ旬報」の特集記事などを整理して、ベリッツの人と作品に迫りたいと思っています。もちろん、可能な限り、彼の作品をすべて鑑賞してチェックするとともに、特に問題となっている「彼の彼自身の作品の盗作」などと批判されている部分については、それぞれの該当箇所を、ビデオテープに編集して、これを比較研究するということを行っているところです。
お手元のレジュメには、その参考文献や、ビデオ、WWWサイトのURLをメモしてあります。○印を付したものはこれまでに入手して閲覧・読了したもので、(未)と記してあるものは未見です。ご覧のように、ベリッツに関しては、まとまった文献は里中直哉の著作のほかに見当たりません。また、ビデオで見ることができるのは、ハリウッド時代のものが多く、彼の真骨頂であるとされるドイツ時代の短編アニメーションは、ほとんど一般のレンタル店にはありません。ただ、彼の作品は麹町のドイツ文化センターの視聴覚ライブラリーで閲覧できるということが先日わかりましたので、この春休みにもセンターに通って、全作を鑑賞したいと思っています。
3. 分析・論証
本日は、映像の比較研究の中間成果物として、彼の作品の一部を編集したビデオテープをご覧頂きたいと思います。このビデオには、彼の3本の作品について、私が見て、非常に特徴的で、似ているシークエンスについて構成してみたものです。最初に、ベリッツがまだルクセンブルク大学生であったころに自主製作した実験映画『de Foresten』、次がメジャーデビュー作『the Never Springs』、次に昨年公開された『残雪の峰のキイル』のそれぞれ1シーンです。ではご覧ください。 (各映画より15秒×3シーン=45秒のビデオ上映)
以上です。この3シーンについてだけ見てみても、まったく同じカメラワークと映像効果が用いられているということがよくおわかりになると思います。
しかし同時に、これは当然のことでしょうが、後年になるほど画質や音声などの完成度が高くなり、表現としても洗練されたものになっています。逆に学生時代の作品は、ここだけ見れば非常に稚拙な映像表現と言わざるを得ません。それにも関わらず、評論家は『de Foresten』を今でもベリッツの最高傑作として称え、『残雪の峰のキイル』については辛らつな評価しか下されていないようです。
例えば、日本の評論家の中井満は、ロードショー1999年10月号で、「もはやベリッツは、自分で自分を盗作するほかに、その作家性を維持できなくなった。目もくらむようだった天才芸術家が、このような形で錆びつき朽ちていくのを見るのは辛いことだ。」と書いています。
しかし、実は私自身もそうですが、世界の映画ファンの多くは、ベリッツの映像世界というものは、『the Never Springs』によって初めて知ることができたのであり、またこの作品が、世界中のサブカルチャーに与えた影響というものは、大きなものがあったことも事実だろうと思います。このことについては、改めて傍証したいと思いますが、同時にそのことで、ベリッツの作品に大衆が期待するというものに完全に一つのスタイルが生まれてしまったということが言えるだろうと思います。
私自身の仮説としては、もはやベリッツの作品は、彼自身の中から湧き上がってくるものというより、彼の外側のシステム-この場合、世界的な映画市場、ハリウッド的プロデューサーシステム、ファッションや広告などのサブカルチャーの模倣といったものによってイメージされ、規定される存在となってしまったということです。そしてそのようなムーブメントの起爆剤となり、現在もなお、燃焼し続けている彼の存在というものは、やはりそう簡単に色あせてはこないものだと評価できるのではないかと思うのです。
4.結論(結論の方向性)
以上のように、私は、ある時機において、ドイツ派評論家といわれている人々が、ベリッツのその無名性ゆえに、一種のカルト的な存在に勝手に祭り上げていたという傾向が強かったのではないかということが次第にわかってきました。すなわち、『the Never Springs』以降の作品傾向への、映画評論家たちの厳しい批評には、評論家好みの表現の奇抜性が影をひそめて、より洗練され普遍化された作品となっていったことに対して、いささか的外れな評論趣味を持ち込んだ結果だったのではないかということです。この点、これらの評論家の論文を検証してみて、その拠って立つところについての、私なりの反論を加えてみたいと思っています。
それと、これもしばしば批判の的となるハリウッドのプロデューサーシステムというものは、このような高尚で芸術的な表現手法というものを、大衆に上手に噛み砕いて示してくれているというような良い面も見出せるのではないか、現に、私を含めた日本の観客の多くが、ハリウッドが見出すことなしにベリッツの映像世界に触れることはできなかったのではないか、ということも考えさせられています。
また一方で私は、本来、歴史的にはドイツと深い結びつきのある日本が、ハリウッドより早く、ベリッツの才能を発掘していれば、また違った展開となっていたののではなかったか、どうだったのか、ということも想像してしまいます。経済大国といわれながら、このような芸術文化の面では常に後手に回ってきたという反省も日本人として必要かもしれないということも考えます。ただ、東京国際映画祭が、昨年からコンペティションの中心を、若手映画作家の発掘というところに焦点を絞ったというような動きなどは非常に注目すべきことですし、このようなムーブメントの原動力ともなったベリッツ自身が、最近、後継者育成のための大学の講座開設のために運動しているというニュースも最近聞きまして、たいへん嬉しいことだと感じました。
このように、私自身は、トーマス・ベリッツの人と作品に対する興味から、彼の研究を始めたわけですが、これを契機に世界の映画文化の交流についても幅広く考えられるようになるのではないかと思っていますし、その方向性でもって卒論研究の結論にしたいと考えているところです。ご静聴ありがとうございました。