1.コンピュータ・ネットワーク社会の到来

1)コンピュータ・ネットワーク時代

  コンピュータは現代社会の隅々に浸透している。これらのコンピュータは、単独で高い 性能を備えていることもあるが、たがいにネットワークで結ばれ、協調して動作すること によって、さらに大きな機能を発揮していることが多い。
  コンビニエンス・チェーン店のPOSシステム(Point Of Sale system=販売時点情報 管理システム)などもその一例であろう。コンビニエンス・ストアで買い物客があると、 店員はレジスター型の端末機に、まず客の性別とおよその年齢層を打ち込み、商品のバー コードを読み取って会計を処理する。この端末機には通信機能があり、各店舗の売上情報 がネットワークを通じて本部のコンピュータへと送られ、どの地域ではいつの時間帯にど のような客に対して何がよく売れているかということがリアルタイムに把握される。PO Sは、メーカや卸売業者、運送業者などをネットワークで結んだEOS(Electric Order- ing System=オンライン受発注システム)に連動し、次の商品の生産量や、各店舗ごとの 仕入れ数、配送日や配送時間、さらには各店舗における棚の陳列順序などへとただちに反 映される。売れない商品の陳列場所は後退し、あるいは姿を消すことで、店の品揃えが充 実し、無駄な在庫は圧縮される。生産、流通、消費がコンピュータ・ネットワークで結ば れた現代的なサービス産業の様相をここにみることができる。
  現在、各企業や研究機関、政府・自治体などでは、さまざまなコンピュータ・ネットワ ークを設け、商取引や生産管理、経営戦略や研究開発、行政サービスなどに活用している 。それぞれのネットワークでは、スーパーコンピュータからパソコン、携帯型の無線端末 機までの多種多様なコンピュータが、公衆回線や専用回線、光ファイバケーブルや人工衛 星など、あらゆる経路を用いてつなぎこまれている。このように複雑なコンピュータ・ネ ットワークの発達は、企業活動や消費生活を効率的で快適なものにする一方、莫大な投資 や煩雑な維持管理を必要とするし、火災や地震、事故等による機能喪失、サイバークライ ム(電脳犯罪)といわれるデータの盗難やプライバシの侵害など、さまざまな障害の影響 を受けかねない脆弱さ(バルネラビリティ)もあわせ持っていると言えよう1)。
  しかしネットワーク化の推進というのは、アメリカの国防用コンピュータ・システムに おいて、ある場所が(例えば核攻撃などによって)ダウンしても、別の場所のコンピュー タがただちにその機能を補うことができるようにするために開発が進んだとも言われるよ うに、リスクを分散し、状況の変化に柔軟に対応できるようにして、システムの全体とし ての強さや安定性を高める上でも大きな意味を持っている。
  もとより人間の活動や産業の発展のためのヒトやモノのネットワークづくりの重要性は 古くから知られ、また経験則として受け継がれてきた。そしていま、コンピュータ技術と 電気通信技術が融合し、技術革新がそのコストを押し下げたことで、コンピュータ・ネッ トワークという新しい情報通信系インフラストラクチャが形成されたのである。コンピュ ータ・ネットワークは、産業界だけでなく、臓器移植やがん診療などのための医療分野、 図書館や学校を結んだ教育の分野、さらに生活・文化・娯楽などのあらゆる分野に展開し て、より高度な情報ネットワーク社会というものを揺藍しつつあると言えるだろう2)。
  やがて到来するであろうマルチメディア時代には、画像や音声を含む膨大な情報が対話 型インタフェイスによって簡単にとり扱えるようになり、必要な情報へのアクセスや選択 性が高まって、各個人の思考や行動が一層自由で闊達なものになるとされている。個人や 家庭の端末が地域や国を越えてつながり、通信と放送との境界は曖昧になる、サテライト ・オフィスや在宅勤務が現実のものとなって労働や生活が変わり、関連産業の膨大な需要 が喚起される等の予測や夢が語られている。コンピュータ・ネットワークの発達は、こう したイノベーションの原動力となるものであり、その役割は〈コンピュニケーション・ネ ットワーク〉、あるいは〈メディア・ネットワーク〉などといった新しい概念においてと らえられるべきものとなってきている。これによって社会や産業、知の体系、個人が備え るべきリテラシーなどにも大きな変容が求められつつあるということについては、第1章 を参照されたい。
  ところで現在のところ、個人レベルでのコンピュータ・ネットワークの利用で活況を呈 しているのはパソコン通信であろう。パソコン通信は、従来のテレビや新聞などのマスコ ミとはもちろん、電話や手紙などとも異なる力を持った新しいコミュニケーション手段と して根づきつつある。趣味の情報交換やおしゃべり的なものが多いが、このコンピュータ の井戸端会議の中で、自分と同じような悩みを持つ人と出会って慰められたりとか、ハン ディキャップを持つ人々へのボランティアの輪が草の根的に広がるなど、人間的なパーソ ナルメディアとしての萌芽を感じさせる出来事もしばしばある。このことは情報ネットワ ーク社会というものが、必ずしも効率や利潤だけを目指すばかりのものではないことを示 唆しているのではないかと思われ興味深い3)。
  最近の企業では、社内のネットワークを通じて全社員がデータを共有し、意見があれば ヒラ社員でも直に社長に電子メールを送ることができるなどというところも出現してきて おり、コンピュータ・ネットワークの発達が組織のパラダイムにまで揺さぶりをかけてい るというような状況も見うけられる。全社的に開放された情報ネットワークがあれば、た だ情報を握っているだけの中間管理職の存在など不必要になるとも言われているのである 。 このようにコンピュータ・ネットワークの発達とは、単なるテクノロジの問題にとど まるものではないということに瞠目しておくべきであろう。その拡張と浸透が人々を本当 に幸福にするものなのかどうかということは大きな命題であるが、要はこれを使いこなす 人間の側のリテラシーとモラルの問題であり、それゆえ不断の監視と洞察が求められるし 、教育の責任も重いのである。
 
2)インターネットのインパクト

  1980年代のなかば以降、学術情報の分野にインパクトを与え続けてきたのが、ネットワ ークのネットワークとでも言うべきインターネット(the Internet)の目ざましい普及ぶ りである。
  インターネットに接続した研究者は、ネットワークを通じて自分の研究状況についての メッセージを大勢の研究者に一斉に送ることができ、受け取ることができる。こうして研 究者どうしがお互いの情報をリアルタイムで共有し、研究成果についての徹底した検証が 加えられたり、問題解決のためのアイデアが即座に得られたりする。また、大学図書館や 研究所、政府機関等の各種データベースへアクセスできたり、ファイル転送や遠隔ログイ ンなどの多様なコンピュータ・サービスを利用することも可能である。このような素早く 、かつ強力なインタラクションをもったコミュニケーション手段の登場は、学術研究や技 術開発に大きなダイナミズムを与えるものであった。インターネットは、さらに予想をこ える勢いで市民生活や企業活動へも展開されつつあり、これからのコンピュータ・ネット ワークの基盤的存在としてますます注目を集めている。
  1994年7月の時点で、インターネットに接続されているホスト数(コンピュータ数)は 約 320万台、ユーザ数は 3,000万人以上にのぼる。ちなみにわが国でインターネットに接 続されているホスト数は72,409台で世界第6位とされている4)。
  ところで、このインターネットの世界では、ユーザの立場にある研究者たちが、自らの 手でシステムの発展や改善に必要な研究開発を重ねてきたという歴史的経緯を背景に、ユ ーザどうしのギブ・アンド・テイクの精神が強く息づいていることが大きな特色である。 かつてコンピュータの世界は、その基本的な動作ソフトウェアであるOS(Operating System) が、コンピュータメーカによってブラックボックスとされ、その周辺機器もすべ て同じメーカが提供するという中央集権的な構造であった。しかし、1969年から1973年に かけて、アメリカのベル研究所が開発した小型コンピュータ向きのOSであるUNIX5) は、その内部構造(ソースコード)を公開し、非常に安いライセンス料で配付されたこと から様々なユーザの手によって改良と研究開発が進んだ。中でもカリフォルニア大学バー クレー校が主に手を加えたバークレー版は、大学や研究所におけるワークステーションの 標準的OSとして広く普及するところとなった。
  一方、アメリカ国防総省の高等研究計画局(ARPA:Advanced Research Project Agency) の研究用ネットワークであったアーパネット(ARPAnet)では、コンピュータどうしが通信 する際の重要な取り決めごとであるプロトコル(protocol=通信規約)の開発にあたって 、アーパネット上の電子メールを使って、多くの研究者に意見(コメント)を求めた。こ れはRFC(Request For Comments)と呼ばれ、ここに集められた優れた提言やアイデア が反映されて、TCP/IPという名の一群のプロトコルの仕様が固められていった。
  このTCP/IPプロトコルが、バークレー版UNIXに標準搭載されたことによって 、膨大な数のワークステーションのネットワーク化が可能となった。大学内や研究所内に おけるLAN(Local Area Network=構内情報ネットワーク)が、他のLANとネットワ ーク化されていって地域ネットワークを形成し、さらに地域ネットワークどうしが、アー パネットの役割を引き継いだ全米科学財団(NSF: National Science Foundation)のNS Fnetをはじめとする全国的なネットワークをバックボーン(背骨)としてネットワー ク化された。ここに、世界各国のネットワークも続々とつなぎこまれていき、今日のイン ターネットの勃興が招来されたのである。
  このようにインターネットとは、LAN、地域ネットワーク、バックボーンという階層 構造を持ったネットワークのネットワークである。(図7.1)

[図7-1]

 インターネットは、それぞれが独立して運営されている多くのネットワークどうしのゆ るやかな連合体であり、電話網における全体の管理者のようなものは存在しない。それで いて、ユーザからは全体があたかも一つのネットワークとして動いているように見える。 この巧妙な仕掛けがTCP/IPプロトコル群(これを、インターネット・プロトコル・ スイートともいう)の働きであり、その仕様書となるのがRFCである。現在RFCは、 インターネット学会(Internet Society) の下部組織がボランティア的に管理しており、 そこではさらに新しいプロトコルを研究開発するための議論が続けられている。RFCは 無料で配付され、各メーカがここに示されたプロトコルを実装した機械を製造している。 インターネットの各ユーザは、原則的には自らの責任のもとで情報の交換や提供を行い、 運営の一翼をも担うものである。中にはメーカ顔負けの技術開発力を発揮して、ネットワ ーク上に次々と魅力的な機能を提供するユーザがいるし、貴重な学術情報やデータベース を惜しげもなく提供しているユーザも多い。お互いの利用規則を尊重しあい、ネチケット (netiquette)を守る。ネチケットとは、ネットワークのエチケットという意味の造語で ある6)。
  多くの国の膨大な人数のユーザがこのような関わり方をしているため、インターネット の世界は極めて多様性に富み、一見掴みどころもないが、そのことがこの世界を全体とし て力強く、柔軟かつ成長持続的なものとしている。そしてインターネットは今日も地球的 規模で広がり続けているのである。ここには、情報ネットワーク社会における大切な本質 を見てとれるように思われてならない。それは、一人一人のユーザに高い知的能力と責任 感、自立と互恵の精神というものを要求しているのである。
 
  3)バーチャル・ユニバーシティ

  これからの大学の研究者や学生にとって、インターネットに代表されるようなコンピュ ータ・ネットワークの存在は、あらゆる学術情報の世界への窓となるものである。これら を縦横に駆使することによって、常に学術研究のダイナミズムを吸収し、自らも発信して いけるような情報環境を構築できるかどうか、またこれを使いこなせるだけの十分な情報 リテラシー教育とモラル教育をおこない得るかどうかなどのことが、その大学の研究・教 育の死命を決するほどに重大な問題となっているということは、もはや明白であろう。
  コンピュータ・ネットワークの発達は、ディジタル・ライブラリ、あるいはバーチャル ・ライブラリなどと称されるような電子図書館の機能を現実のものとしつつある。求める 本がどこにあるかというような所在情報や、各種のレファレンスサービスはもちろんのこ と、図表や写真を含む全文データのオンラインによる提供や、ネットワーク上で編集され 配信されるエレクトリック・ジャーナルなど、いわゆるペーパーレス出版のサービスも実 現化されつつある7)。
  さらに進んで、ネットワークの上に仮想される大学、すなわちバーチャル・ユニバーシ ティというものも考えられる。バーチャル・ユニバーシティでは、既存の学問領域の枠を こえた研究者達のコミュニティによって学際的な研究を進めたり、意欲のある学生や社会 人がネットワーク上に公開された複数の大学の講義の内容を比較した上で、最も充実して いるものを選んで聴講するなどのことが可能となろう。マルチメディア化したコンピュー タ・ネットワークによって、国内外の大学を問わず、優れた講義を在宅のまま体験し、電 子メールでディベートに参加し教師の個別指導を受けるといったことができるであろう。
  このような仕組みが実現すれば、人々にとっては、「どこの大学を出たかではなく、何を 勉強したか」が重要になり、究極的には現在の大学という機構そのものが意味をなさなく なってくるのではないか、とまで言われる8)。少なくとも、ネットワークを通じて魅力的 な教育研究情報を発信できない大学は、大学間競争の中で次第にその地位の低下をきたし かねない。
  ところで、バーチャル・ユニバーシティは、コンピュータ・ネットワークなしには実現 できないものかといえば、必ずしもそんなことはあるまい。放送大学、学位授与機構、公 開講座や単位互換、図書館間相互協力など、既にある仕組みの中にも、開かれた大学像と してのバーチャル・ユニバーシティのコンセプトを具現化しているものは少なくない。コ ンピュータ・ネットワークはこのような進化を後押ししてくれるだけである。
  ‘スニーカー・ネットワーク’という言葉がある。高価なLANを敷設できなくても、 スニーカーを履いた人間がフロッピーディスクを持って一生懸命走り回れば似たようなこ とはできるという冗談だが、研究への知的興奮や教育への情熱こそが、人間を意欲的な情 報行動へと駆り立てる原動力なのであり、逆にいくら高性能なネットワークが導入できた ところで、ネットワークされるべき個々の実体が貧しければその成果は薄いということで はないだろうか。
  「パソコン・ネットを入れたからといって、何をやっていいかわからないというのが、 日本の多くの大学の現状ではないか」との指摘もある9)。ともすれば、技術的な興味が先 行しがちなコンピュータ・ネットワークであるが、「まず教育ありき」という原点を見失って はならないことはいうまでもないだろう。