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8 ネパール・マサラ・ムービーの特質と課題



▲映画館のチケット売り場に並ぶネパール映画のポスター.おきまりのロマンスとアクションに歌と踊りが挿まれるパターンの繰り返しであることがほとんどであり、どの映画も−従ってポスターもよく似ている.

ネパール映画の特質は、インドの大衆娯楽映画の路線、すなわち"マサラ・ムービー"の様式が飽くことなく繰り返され、今なおそれが主流を占めていることである。

映画には、歌、踊り、ロマンス、アクション、道化という5つのマサラ(香辛料)が、どれも欠けてはならないというのがマサラ・ムービーのセオリーである。

この5つのマサラとは、サンスクリット演劇の芝居綱要書『ナーティア・シャーストラ』第6章に示された、芝居によって観客に与えられるべき9つの味(ナヴァ・ラサ)、つまり色気、勇気、笑い、悲しみ、驚き、恐怖、怒り、憎悪、平安という、人間の感情のすべてにわたる『味』からきており、この九味を満足させるために、芝居も映画も盛りだくさんなものとなるのだといわれる。

「ナーティア・シャーストラ」によれば、芝居は、劇、歌、舞、楽が一体となったもので、その上演は神々への供犠であり、ハッピーエンドでなくてはならない。このような歌芝居の伝統に、19世紀以降のイギリス支配の影響を受けた近代的感性が融合され、映画という廉価な複製メディアに乗って、庶民の暮らしの中にひとときの祝祭をもたらす貴重な娯楽文化となったのがマサラ・ムービーである。

マサラ・ムービーは、こうした深い伝統文化に根ざした表現様式によって虚構の世界を見せることで、低カースト、低取得、低学歴の人々を主とする観客たちが、現実の厳しい生活や差別をひと時忘れるための娯楽であり、スクリーンにむかって歓声をあげる観客どうしが連帯して楽しむささやかな祝祭といえる。ネパール・マサラ・ムービーが、同国の多民族多言語な国民の意識を統合していくうえで果たした役割は大きく、先進国の感覚で単純に非難はできない。

しかし、マサラ・ムービーには、マンネリズムと創作性の欠如、大道芝居の伝統を継承した、大げさで安直な修辞法や感情表現、また現実から逃避し、観客が社会問題に向けるべき批判性を削いでいるなどの問題点が指摘できる。また、世界の映画表現の進化を知る観客の目にとって、社会性や芸術性に乏しく、素朴というより稚拙に近いものとして映る特異な表象表現となってしまっていることは否めない。

とはいえ、ネパール映画の内容を仔細に検討してみるなら、そこには人々の暮らし、社会観や家族観が映し出され、慎み深く細やかな感受性を備えたひたむきな人間像が描かれ、物語には勧善懲悪が貫かれている。このようなネパール人的感性の写し鏡となっているからこそ、映画は永く人々から支持を集めてきたのである。