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5 ビデオパーラーの普及とビデオ・チャルチットラの隆盛



▲シン・ダルバール内のネパール・テレビの局舎.ネパールのテレビ放送開始は1985年と遅く、テレビ放送よりも先に家庭用VTRが普及するという特異な現象が起きた.個人経営のビデオパーラーが繁盛し、ネパールの人々は、ビデオによって世界の映画の状況にひろく触れた.

ネパール映画史における、1980年代後半のビデオパーラーの普及、1990年代前半のビデオ・チャルチットラの隆盛は、世界の映画史上、特異な現象であった。

ネパールでは、1978年、VTRとテレビのセットの個人所有が許可され、テレビ放送の開始(1985年)以前に家庭用VTR(VHS)が普及した。ビデオセットは一般国民にとっては非常に高価だったが、輸入商人や富裕層の人々の中に、有料で映画のビデオソフトを見せる私設のビデオパーラーを開設するものが多数現れ、ネパールの人々は、ビデオパーラーによって、初めて世界の映画の状況にひろく触れた。

1980年代の後半から1990年代前半にかけて、VHSのビデオデッキとカメラを用いて製作、上映されるビデオ・チャルチットラ(ビデオ映画)が数多く製作され、セルライト・フィルムによる映画の製作本数を上回る隆盛を示し、「安価に参入できる映画産業」として、多くの人々によって商売として取り組まれた。

一般の劇映画と同じように2時間から3時間の長さがあり、そのなかに歌と踊り、アクションとコメディが盛り込まれたマサラ・ムービーであり、専用のビデオ映画館で有料で上映された。

ビデオ・チャルチットラの隆盛は、歩みの遅い(フィルムによる)ネパール映画にたいして、人々の待ちきれない思い、自分たちの(ネパール語の)映画を見たい、作りたいという要求が、費用の面で参入が容易なビデオメディアによって一途に噴出したものであった。換言すれば、それほど人間は生来的に「自分たちの映画」を希求するものだともいえよう。