2000年度ITO作品『青春メンズワールド』を監督した佐藤陽弐('98年度生)は次回作として『大人のボスに一泡食わせる若者たちの叛乱の物語』を企画し、映画化の可能性を模索していた。一方、神村尚之('98年度生)は、映像演習における創作作品『さよならサクラFM』というタイトルの15分のシナリオを書いた。これは倒産目前のFM局の日々を描いたものだった。

 伊藤敏朗は、神村作品の設定で、佐藤のプロットをドラマ化することが出来ると考え、2001年12月、ITO番『さよならサクラFM』の最初のプロットを完成、増田有記('00年度生)を監督に指名して、シナリオ作りが開始された。

 2002年2月から3月にかけ、ゼミ生全員によるシナリオ会議を重ねる一方、スタッフ・キャストの担当を決め、カメラテストが開始された。

 2002年4月初旬にシナリオ完成稿が出来上がり、大小小道具や衣装製作が始まった。学内のスタジオにラジオ局のアナブースを作り、局用のマイクやONSIR灯が設置された。社屋看板や外灯も新たに製作された。

 4-5月の連休から本格的な撮影がスタートした。本作は業務用DV-CAMで撮影され、クレーンやドリーも駆使した本格的なものであったが、スタッフは各パートごとに実力を高めていった。

 その後の撮影は土・日曜を中心に行われた。サクラFMの社屋はケーブルネットワーク千葉(CNC)放送センターの外観を借りた。またホテルのロビーで騒動が起こるシーンは東京農業大学100周年記念講堂で、橋本とP-TANが川に落ちるシーンは、房総白浜の海岸プールで大規模なロケーションが敢行された。千葉駅や佐倉駅の周辺、大学構内や周辺で撮影が続けられ、7月初旬、全編がクランクアップした。9月-11月にかけ編集・アフレコが行われ、2002年度翔風祭(11月10-11日)にて学内公開された。

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