1991年8月29日(木)13:00-13:45 於:アルカディア市ヶ谷 私立大学協会平 成3年度図書館司書主務者研修会における講演の記録

視聴覚資料の資料構成に関する考察


[講演] 伊藤敏朗



 ただいまご紹介にあずかりました、東京情 報大学の伊藤でございます。
 このような発表の機会を頂きまして、大変 光栄、というよりもまことに恐縮しておりま す。
 もともと、ご依頼を頂きました際「視聴覚 について何か面白い話しがあれば…」という 漠然としたお話しを、私もあまり深く考えも せずにお引受けしてしまいまして、あとから 色々考えた末、主なテーマを2つにさせて頂 きました。
 1つは、「大学図書館におけるAVブース の普及状況」について、あと1つは、「劇映 画資料の知的活用法を模索して」と題して、 あるケーススタディーについてご紹介したい と思います。
 そしてこの2つのテーマを繋ぐ為に「資料 構成に関する考察」なんて、もっともらしい 標題にして頂いたんですが、実際にそういう 部分まで踏み込むだけの時間がありませんの で、話しのあとで、「一体、どこが資料構成 なのか?」とお叱りを受けるような、まとま りのないことになってしまいそうな気配が濃 厚なのです。そこはどうか、私の若輩と持ち 時間に免じて、何卒お許し頂きたいと存じま す。

 そこでまず第1のテーマであります、「A Vブースの普及状況について」お話しさせて 頂きたいと思います。
 おとり頂いたこの冊子は、私が世話人をや っております、私大図協の視聴覚資料研究分 科会が89年に刊行した『AVブースカタログ '89 〜大学図書館における視聴覚資料閲覧 席の事例研究〜』というものですが、分科会 の会員大学を中心に、47例のAVブースを写 真付きでご紹介しておりまして、既にご存じ の方もいらっしゃるかもしれません。
 私どもはこれを全国の大学図書館に配付し まして、その際AVブースというものの普及 状況についてアンケート調査しました。
 その結果については、現在、『大学図書館 研究』に投稿中で、そこで詳しく発表する予 定でして、まぁ、掲載されるかどうかはわか りませんけれど、その一部についてここで簡 単にご紹介したいと思います。

 (TPを使った発表 5分間)

 このように全国の大学図書館におけるAV ブースの年間利用者が、推計ではありますが 約 100万人に達しているというのは、確かに 少なくない数字だと思います。
 そこで私は、これだけの広がりを持った視 聴覚サービスというものをより上手に展開し ようとするならば、各図書館の視聴覚担当者 がネットワークを作って結束することで、全 体として非常に有効なマーケットとして機能 し得るのではないか、と思っている訳です。
 そしてその集団が、今度は資料の送り手の 側、つまりソフトのメーカーや、番組の製作 者達、といった人達に、良き批評を与え、よ り眼の肥えた選択・収集をするという努力を 続けたならば、それが良い意味での刺激や圧 力となって、視聴覚資料の世界というものを 質的にも量的にも充実させていくことができ るのではないか。
 そういう構想を強く抱いている訳です。

 さて今回の調査は、このように、AVブー スという設備の面についてご報告した訳です が、本来、図書館にとっては、ハードよりも ソフトの面の方がより重要な訳です。
 視聴覚資料(ソフト)の普及状況について は、日図協や文部省の調査である程度明らか ですし、次の時間に、私大協さんの方で実施 された調査も拝見できる訳ですが、その中の 中身、つまり資料構成については、まだあま り詳しく分かっていない面もあるように思わ れます。
 私どもの会でも、会員校を対象として簡単 な調査をやってみたのですが、その結果はこ のようなものでした。

 (TPを使って説明 1分間)

 このように、映像資料では、ノンフィクシ ョンがおおよそ6割、劇映画は4割程度とい うように、図書館側としては劇映画ではない 資料に、それなりに力を注いでいることがわ かる訳です。
 にも関わらず、実際に利用される資料の大 部分が、実は劇映画だ、という実情がありま して、担当者の悩みの種になっている、訳で す。
 これは詳しい統計がある訳ではないですけ れども、担当者の実感といったものを総合し てみますと、まず利用の90〜95%までは、劇 映画を観ているという実態である様です。
 すると、年間利用者 100万人というような ことも、ある意味では、少々危険な意味あい を含んだ数字と言わなければならない。つま り劇映画の著作者達にとって刺激的な数字で もあるわけです。
 そこで、利用の傾向を、劇映画から、もっ と固い内容のものへとシフトさせていこうと する様々な方法について考えることは大切で すし、そのノウハウも幾つか存ります。
 一番確実なのは、劇映画を置かなければ良 い訳でして、実は、私の図書館では私の考え もあって、AVコーナーには劇映画を提供し ていません。映像資料は全てノンフィクショ ンのものです。
 しかし、今日は、ちょっと視点を変えてで すね、劇映画というのも、時として、私達の 生活にとって貴重な情報源となることが少な くない、いやある意味では映画が作られた当 時の世間の人々のものの見かた・考えかたと いうものを知る上で、非常に重要なものを含 んでいる、ということもあるんだと。
 その資料的な価値を、うまく活用するよう な、「上手な映画の読み方」というものが、 何かありはしないか、と考えてみた訳です。

 もともと、視聴覚資料というのは、感性に 訴える力が強い訳ですが、それが理性的な知 識として定着する為には、文字情報による裏 づけが絶対不可欠であります。
 とはいえ、現代において、文字情報だけで は伝えきれないものもあまりにも多い。
 つまり車の両輪である。
 と位置づけた上で、私達の役割というのは 視聴覚資料のもつ「膨大な情報量と、強い動 機づけの力」というものを、図書館に蓄積さ れた図書情報と、いかに有機的に結びつける てやることができるか、という所にあるので ないか。
 それがまた、図書館の利用というものに対 する感銘を深めていくことになる筈だ、と考 えております。

 それでは、実際に映像を読む、あるいは映 像から学ぶ、というのは、どういうことにな るのか。
 そのケーススタディーとして選んだのが、 『映画の中の図書館』というテーマであった わけです。
 映画を観ていて、そこに図書館のシーンが 出てきた時に、思わず「おっ」と身を乗り出 さない図書館員は、いないんじゃないか、と 思います。
 そこでちょっと、皆さんに伺いたいんです が、これまで自分がご覧になった映画で、図 書館が登場する映画というのをだいたい何本 くらい思い出せるでしょうか?
 3〜4本はすぐ出てくるとして、それ以上 どうでしょう?
 経験的に言って、もし10本、すらすらと出 てくれば相当な映画好きでいらっしゃると思 うんですが、私自身、数日考えこんでみても 最初は、20本くらいが精一杯でした。
ところが、色々なツールや文献を調べ、他 の方からも教えて頂いた結果、現在ではだい たい 130本以上、あることが判明いたしてお ります。
 これは主として、和光大学図書館の市村省 二さんの研究から教えて頂いたものなのです が、私と市村さんは、その中からビデオ版で 入手可能なものを、その図書館シーンだけ、 細切れに抜き出して繋げたビデオを作ってみ ました。
 ここに収められた映画、全部で88本になり ますが、今から駆け足で、一挙に上映してみ たいと思います。

(ビデオ上映 「映画の中の図書館」20分)

 いかがでしたでしょうか?
 細切れすぎてちょっと分かりにくい所もあ ったかもしれませんが、こうした映像を見比 べますとさまざまな図書館運営の様子とか、 各国の図書館事情というものがかいま見れて 大変興味深いわけです。
 例えば「ワン・モア・タイム」という映画 の中では、女子学生が、6冊の本を3ヵ月延 滞して、90ドル近い延滞金を請求されるシー ンが出てきまして、払わないと単位を保留す るとまで言われてしまう。
 すると1冊を1ヵ月延滞して5ドル、とい うと 700円くらいで、べらぼうに高いとも思 いませんが彼女は現金では払えないという。
 すると脇で見ていた学生補助員みたいな男 の子が端末を操作して、記録を抹消してあげ る、という短いシーンで、普通の人なら大し て問題にしないような場面でも、私達が見る と、非常な刺激と情報を受け止めることがで きるわけです。
 他の映画でも、病院への図書の配達サービ スとか、刑務所の中の図書館とか、色んな図 書館も出てきて、それぞれ非常に多くの情報 を含んでいる訳でして、誰かが言っていまし たが、映画というのは、「世界に向けて開い た窓である」というようなことが、実感され るわけです。
 そして更に興味深いのは、そこに、映画の 作り手や、その観客の本音というものを見て とることが出来る、ということであろうと思 います。
 例えば映画の中の図書館のシーンで良くあ るのが、会話の中で激昂していって終いに大 声を上げてしまう、それで周囲の利用者や図 書館員が一斉に振り向く、というギャグが繰 り返し現れて参ります。
 それは、実際によくある事というよりは、 一般の利用者が、「図書館は静粛であらねば ならない」というテーゼに、一種の抑圧を感 じていて、是非、大声を出してみたいものだ という衝動を抱えていることの裏返しとして 読めるだろうと思うんです。
 あるいは整然と並んだ本やカードも、あわ よくば無茶苦茶に撒き散らかしてしまいたい という衝動も見受けられる気がいたします。
 しかし、それにも増して、映画の作り手の 本音がくみ取れるのが、映画の中の図書館員 というものの性格づけです。
 先ほどのビデオでも出てきましたけれど、 映画に出てくる図書館員像というのは、大抵 ある種の挫折感を抱えておりまして、そして 心の傷を癒すかのように図書館づとめを志向 している、生き生きとした社会の動きからは 1歩退いて、本に囲まれた静かな生活を過ご したいというような、気弱な、しかし腹の中 では何を考えているかわからない、かたくな な人間像として描かれていることが多いよう です。
 また、旦那さんが亡くなって、未亡人が生 活に困っている所を周囲の人が同情して、図 書館に勤めさせてあげてるというような設定 とか、利用者への対応が非常に横柄であった りとか、私達にしてみれば偏見に満ちた、し かし一般の観客にとっては非常に受入れ易い シチュエーションが、そこに描かれている訳 です。
 映画とは確かに虚構の世界です。が、それ ゆえに、観客が潜在的に持っているイメージ というものを率直に反映している、一般の人 にとってやすやすと受入れられ易い設定のさ れ方をするものだ、と言えます。
 それは描かれている立場の私達にとって、 自分達は世間ではこんなふうな職業、人間と して見られているんだということを知ること ができる「鏡」としての働きを持っている、 ということであろうと思います。
 つまり映画というのは、使い方によっては 「外の世界を覗く窓」であり、ある時は「自 分自身を写す鏡」である、ということを申し 上げておきたいと思います。
 そんなことを、このケーススタディーから 感じて頂ければ、大変幸いに思います。
 勿論、こうした世間の図書館員に対する偏 見を放置していて良いとは思いません。
 それは一般の人に対して、ということもさ ることながら、もう一つは、これから図書館 員になる人、今図書館員である人の気持ちの 在り方にも影響があると思うからです。
 いま、図書館がとり組むべき課題は山積し ている訳ですが、日本には、大学・公共図書 館あわせても、図書館員の人口は僅か1万人 ちょっとで、その中で、バイタリティーと才 能を持った人の登場が渇望されているわけで あって、ここは何としても、もっともっと知 恵と腕力のある人材が欲しい訳です。
 これが世間にはびこった図書館員のイメー ジというものに攪乱されて、例えば大学の事 務局長あたりが、「こいつは気が弱そうだか ら図書館向きだろう」という人事をしたり、 若い人が、「自分は人づきあいが苦手だから 本の世界に没頭したい」なんていう手合いし か集まってこないような職業になってしまう と、わが業界の未来は暗い、と言わなければ ならないと思います。
 ですから、ここは日図協あたりが一念発起 してですね、図書館員が主人公になって、颯 爽と難事件を解決して、悪党をバタバタなぎ 倒す、最後は大金持ちになって美男美女に囲 まれる、という映画を作ればいいんじゃない かと思いますけど、まぁ実際には日常業務の 中で、地道な努力を重ねる、ということしか なさそうです。
 ただ、これまでの図書館のPRというのは 当然利用者に向けられていた訳ですが、これ からのPRはもう少し、図書館内部の人間の 意識改革とか、有能な人材の確保といったこ とも戦略に入れるべきではないか、とも思っ たり致します。

 さて、まぁ、「映画に出てくる図書館」と いうのは、話題としては面白いんですが、も っと一般的なテーマについても、「劇映画」 という、この世界的なメディアの中で流通し ているイメージ、それによって形成される人 々の社会的な意識というものについてはいろ んな形で問題として取り上げらることができ るだろうと思います。
 例えば、「映画の中の女性の描かれ方」と か、あるいは「外国映画に出てくる日本人」 とか「少数民族」などの問題はしばしばマス コミなどにも現れてきております。
 そうしたニーズからすると、図書館におけ る劇映画資料の位置づけというのは、必ずし も軽い娯楽を提供している、ということには 止まらないものがあるのではないか。
 むしろ、せっかく図書館に置くのであれば 是非、図書館の知恵というものを使ってです ね、様々な関連図書との有機的な結びつけを 図ったり、興行的には殆どヒットしなかった 映画でも資料的価値の高いものや、第3世界 の作品とかを細めに収集して、その目録を公 開し、資料の所在を明らかにする、といった ことが、これから大きな意味のある仕事にな るような気がする訳です。
 えぇ、本当はここでもう1本、「映画の中 の葬式」というビデオも見て頂こうかと思っ たのですが、案の上、時間切れですので、省 略します。
 ただ、私、思うのですが、最近、東京あた りではお墓を作る土地が無くなってきて、そ こでロッカー式の墓とか、芝生公園みたいな 墓とかが登場するようになっていますよね。  あぁいうのって、やっぱり外国映画の影響 が少なくないんじゃないか?と思ってるんで す。
 そういう人間の根本的な死生観みたいなも のも、映像メディアによって、次第に変化さ せられる、という影響力…そこらへんの事に 私は、大変興味を持っている訳なんです。
 それはともかく、それじゃ、このような映 画資料の活用を図る上で、具体的に言うと、 「図書館」とか「葬式」とかいったキーワー ドで、そのシーンが出てくる映画を検索する ようなシステムはあるのか?
 それは今後、どんな方法で可能か?という ことを見てみたいと思います。
 実は「映画の中の図書館」を調べる上で、 最も強力なツールになったのが、「マーギル ズ・サーベイ・オブ・シネマ」というデータ ベースでした。

 (マーギルズ・サーベイオブ・シネマ TP)

 これはダイアログの数あるデータベースの 中でも割と有名ですし、ニフティー・サーブ のゲータウェイ・サービスなんかからもアク セスできますので、ご存じの方もおられるか もしれませんが、要するに劇映画についての オンライン・データベースです。
 このデータベースは、アメリカの映画芸術 科学アカデミーなどの専門家を集って作った 冊子体にもなっている映画事典のようなもの です。
 ご覧のようにタイトルや監督・製作・出演 者のほか、映画の内容の抄録と、内容紹介、 その映画についての評論記事の所在、さらに その映画において重要と思われる件名を含ん でおります。
 そしてこれらのどの項目からでも、どんな 単語からでも、めざす映画の情報を検索する ことができるようになっております。
 これに「ライブラリー」とか「ライブラリ アン」というキーワードを入れてやると、70 本とか80本といった数の映画が、有名・無名 を問わずズラズラと出て参りまして、非常に 助かった訳ですが、映画研究家にとって重要 な情報源となっているわけであります。

(ビットネット TP)

 それからもう一つ、面白かったのは、これ も市村さんに教えて貰ったことなのですが、 学情のナクシスメイルから得られたリストで した。
 電子掲示板の「カタロガーの部屋」に、ビ ットネットのBIフォーラムからの転載記事 として、やはりこの「映画に出てくる図書館 ・図書館員」というテーマで、北米大陸とイ ギリスの図書館員達が、約50人がかりで、そ の情報を集めた、という記事が載っておりま した。
 これは去年の暮れごろから募集を始めて、 半年で 100本程の映画を集めたようですが、 この首謀者は、ニューヨーク州のビンガムト ン図書館にいるマーティン・レイシュという 人物らしいんですが、私や市村さんもだいた い去年の11月頃から、このテーマに取り組ん でおりましたもんで、図らずも洋の東西で同 じようなことをやっていたんだなぁ、と、何 だか図書館員として、海を越えた連帯感みた いなものを感じてしまった次第です。
 まぁ、それにしても、やはりマーギルとい い、ビットネットといい、やはりあちらは流 石だな、という気が致しました。
 さて、それでは、日本映画について、こう したデータベースがあるかというと、これが どうも、フィルムセンターとか松竹の大谷図 書館といった、映画についての専門ライブラ リーでも、こういう試みは、殆ど手をつけて いないようであります。
 「小道具別の映画の見かた」とか「映画の 中の女性像」といった本が散発的に出たり、 8センチCD−ROMの、「ぴあシネマクラ ブ」みたいなMARCもありますけれど、「 マーギルズ・サーベイ・オブ・シネマ」みた いな腰の入ったものは、今の所ちょっとわが 国には見当たらない訳です。
 従って「映画の出てくる図書館」というの を調べるのも、実際は、洋画より日本映画の ほうがはるかに困難でした。
 ある程度は文献とか人づてで分かったんで すが、あとはもうビデオレンタル屋さんでひ たすらパッケージをひっくり返して、これな ら図書館が出てくるんじゃないか、とカンを 働かせてですね、それを家に持って帰ってチ ュルチュルチュルっと、全部早送りで見てし まう、それで出てくればしめたもので、大抵 はガッカリするということの繰り返しで、映 画の鑑賞法としてはこれ以上の邪道はないと いう、原始的な探しかたをやったりした訳で す。
 まぁ、映画の好きな人に言わせれば、そも そもビデオになった映画なんて映画じゃない という見解もある訳でしょうけど、しかし、 今のようにビデオが普及してくると、これま で、半ばは埋もれていた古い日本映画も、逆 に私達が見る機会は増えてきつつある。
 そしてそこにある文化財としての資料価値 が、俄に見直されるという機運が出てきたよ うに思われるのです。
 するとここは、図書館の視聴覚担当者とし てですね、ぜひ一肌脱ぎたいところなんです が、これがなかなか道が険しいわけですね。

 時間も押しておりますので、ここで一気に 話しは飛躍しまして、それでは映画資料のデ ータベース化、ことに全文データベース化と いうものを構築することを仮想した上で、ヒ ントになりそうな話しを一つご紹介したいと 思います。

(クローズド・キャンプション版・ビデオ   「素晴らしき哉!人生」 上映)

 今、ご覧頂いているのは、「素晴らしき哉 ! 人生」という1946年のフランク・キャプ ラ監督の名作です。
 先ほどの「映画の中の図書館」にも出てき ました。
 これは、人生に絶望した男が、自分一人く らいこの世にいなくても、誰も何も変わらな い・困らないじゃないか、と言いだす。
 そこで天使が、それじゃあお前がいない世 界というのは、周囲の人達の人生がどれほど 暗くて、寂しいものになるか、見せてあげよ う、と言って、彼がもし子供の頃の事故で死 んでいたらこうなっていた、という世界を見 せてくれる訳です。
 すると、前までは、自分がいなくてもたい して変わらないと思っていた世界がまるで違 っていて、みんなが不幸になっている。
 わけても、現世では自分の奥さんになった 筈の女性が、自分と出会わなかったばかりに 図書館に勤めていた、という話しで、つまり “素晴らしき人生”というものの対局にある ものとして、図書館員が設定されているとい う、ひどい話しなんですが、私が言いたいの はそのことではなくて、今、見て頂いている 映画の字幕です。
 ここにある機械のスイッチを入れると英語 の字幕が現れ、切ると消えます。
 おわかりですか。
 英語の台詞に英語の字幕が出てきます。
 一見、字幕なんかない、普通の映画ビデオ のようでいて、ある機械をつなげることで、 字幕があらわれてくる。
 これが、クローズド・キャンプションと言 いまして、アメリカで販売される映画ビデオ の殆どに、実はこのような信号が潜んでおり まして、聴覚に障害のある人でも、映画を楽 しむことができるという仕掛けです。
 で、面白いのは、この機械とパソコンをつ なぎますと、この字幕の文字がMS−DOS のテキストファイルとしてパソコンに取り込 めるということなんです。

(キャンプションシステム TP)

 こうやって、パソコンにつなぐと、プリン ターから、セリフが打ち出されてきます。
 ちょっと加工すれば、これがそのまま、映 画の中のセリフの全文データベースになり得 るということがお分かりだと思います。
 更にいうと、機械可読のテキストですから このまま翻訳ソフトにかければ自動的に和訳 もできる、という、色々面白い使い方ができ そうな仕掛けなんです。

(亜細亜大学のシステム ビデオ上映)

 これは、亜細亜大学のコンピュータ教室で 映画の字幕をパソコンにとりこんでいる所の デモですが、こんなふうに、映画を再生しな がらそのセリフが、PC−98にダウンロー ドされていくのが、おわかりかと思います。
 ですから、もし日本映画にも、こうした字 幕を入れておいて、それがパソコンにダウン ロードができたならば、映画の全文データベ ースの構築というのはかなり機械的にやれる のではないか、という示唆を与えられるわけ でして、ひとつのヒントとして、面白いなぁ と思っているんです。

 ただ、ここで大事なのは、こうした仕掛け をデータベース構築に使おう、という発想は そもそも本末転倒であって、まず、ここで、 わが国における聴覚障害者への視聴覚サービ スというものを、考えてみなければならない だろうと思うのです。
 この字幕を出す機械、デコーダーといいま すが、アメリカではついに、これをテレビ本 体に内蔵することが義務化されまして、さ来 年の7月以降、こうした字幕デコーダーを内 蔵していないテレビは、販売できないことに なりました。
 もともとアメリカでは、このような聴覚障 害者向けの字幕放送は、ごく当然のこととし て実施されておりまして、録画による番組は 勿論、生番組でも、特殊な機械で、ほぼ同時 に字幕を出しながら放送するのが普通である という背景があるわけです。
 ところが、それを見る為の復調器を別に買 わなければならないとすると、この機械を買 う時に、その人が難聴とわかってプライバシ ーの侵害になるとか、色んな声があって、と うとうテレビに内蔵することを法制化してし まったわけです。

(サンヨーテレビのTP)

 すると、日本のメーカーというのは、その 為のLSIなんかをどこよりも早く作るわけ で、単体なら3万円くらいした機械を、3千 円のチップにしてしまったんです。
 これが、それを伝える新聞記事ですが、最 後の方で、こんなしめくくり方をしているん ですね。
 〜「日本でも、字幕を画面表示できる放送 は技術的には十分可能だが、そいう発想がな い」(家電関係者)ため、今のところ実現し ていない。〜
 まぁ、文字放送には、ほぼその機能があり ますから、ぜんぜん無いわけではないんです が、極めて普及は遅れております。
 それにしても技術的には何でもない事が、 その発想がないのでやりませんということ。  今世間では、VHSとか8ミリビデオとか いった規格が普及してますが、あと数年する と家庭用VTRもデジタル化されて来ます。  すると、このような、テキスト情報と映像 情報の多重化などというのは、もっとやり易 くなる筈なんです。
 日本人は、そういう技術では、まさに世界 に冠たるものを持ってるんですが、それを何 にどう使うのか、という部分では、まだまだ 意識が低いような気がしまして、「技術大国 日本」というものの内実に、寂しいものを感 じるのは私だけではないと思うんです。

 そこで、せめて、図書館においては、少な くとも公共図書館であれば、こうした字幕付 きビデオ資料の作成や、貸出しができるよう な、そういうルールができないか、というこ とで、運動している人の話しを聞いたんです が、これがまた、今度は文部省と厚生省の縦 割り行政というのがありまして、現在では、 こういう字幕付きビデオ資料の制作は、図書 館ではなくて厚生省管轄の「情報文化センタ ー」という所に窓口が限られておりまして、 図書館の出る幕が殆ど無い、というような状 況なんだそうです。
 といって「情報文化センター」の動きも大 変にぶいと、いうことであるそうです。
 ですから、著作権法の中の点字図書のよう に、もう少し、図書館の視聴覚サービスとい うものに、著作権法をクリアするような特権 的な地位が与えられるようなことを、考えて いくべきではないか、と私なんかは思ってお ります。
 それは結局、何の為の図書館か、何の為の 視聴覚サービスか、そしてテクノロジーとは 何に奉仕すべきなのか、ということを考えて いく時に、どうしても一度はひっかかってく るテーマであろう、と思っているからであり ます。

 そんなわけで、今日は、視聴覚資料につい て、図書館は、図書館員は何ができるか?で きそうなのか?
 というようなことをめぐって、私が最近考 えていることを、お話しさせて頂きました。
 いささかとりとめもないお話しになりまし たが、視聴覚資料の抱える数多くのテーマの 内の一端を、くみ取って頂ければ、大変幸い でございます。
 ご静聴有り難うございました。【拍手】

 えぇ、おとり頂いたこの資料なんですが、 私がほかの講習で使ったものを、許可を得て 配らせて頂いたものなんですけど、「大学図 書館におけるAVブースの普及」「マーギル ズ・サーベイ・オブ・シネマ」「字幕デコー ダー」といったことは、この資料に載ってお ります。  ただ、この資料は大きなミスがありまして 実は頁が印刷されていないんです。  それで、お話ししながら、何頁を開けて下 さいという使い方が、今日はできませんでし たので、ただお配りしただけになってしまい ましたが、あとでお時間がありましたら、ち ょっと見てみて頂ければ幸いです。  有り難うございました。【拍手】





上記講演はその後以下の報告書に再構成のうえ掲載された
伊藤敏朗/視聴覚資料の資料構成に関する考察, 私立大学協会平成3年度図書館司書主務者研修会報告書(1991)



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