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12 おわりに



▲“Veer Ganesh Man”(ビル・ガネシュ・マン:勇敢なるビル・ガネシュ・マン)を撮影中のビザイ・トゥラダル監督.本作は興業面では政治的紛争の渦中での公開となり不振だったが、現代ネパール政治史をリアルに描いた大作であり、ネパール映画史において忘れることのできない作品である.

ネパールの映画人は、限られたマーケットと不安定な政情、時に苛烈なまでに抑圧された表現の自由のもとで苦しみながらも、映画への強い情熱を持ち続け、これを国民的娯楽に育ててきたことにまず敬服する。

また、ネパールの映画館における観客の熱狂と興奮は、映画というものが、日本人が知るそれとは別のものではないかと思われるほど大きなものである。映画が、かくも激しく力強いものであることを、日本の映画人は長く忘れているのではないかと考えさせられる。

日本や世界の映画表現の水準と比してネパール映画の表現上の稚拙さを指摘することは容易いが、それをひとまず置いて内容を深く観察するならば、ネパール映画が描きだす人間像は、慎み深く、細やかな感情とひたむきさに溢れ、物語には信義と勧善懲悪が貫かれている。

そのような映画の登場人物の人生観や感受性などがネパールの人々の写し鏡となっているからこそ、ネパール映画は永く人々からの支持を集め、今なお娯楽の王座にあるのである。

日本の映画人にとって、このようなネパール映画の素朴さと強靭さに触れることは、高度に複雑化した日本社会の中で日本映画だけを見つめ続けることで陥りがちな内向きな隘路から脱して、映画というものが持つ本来の力を再び信じ、新たな創作へと立ち向かう勇気を与えられることとなろう。

もとより、日本とネパールには、長い歴史的交流があり、互いが国どうしの戦火を交えたこともなく、ネパールの人々には日本に対する敬愛と友情の念が強い。このようなアジアの親日国は稀であり大事であるというだけでなく、両国の国民性や感性には共通性や親和性が高いのであって、お互いにとって良き理解者、良きパートナーとなり得る存在と思われる。

このような国の双方に、映画への情熱を燃やす者がいて、出会えばたちまち映画について語り合うことができるということは、映画という文化のもつ世界性の素晴らしさであり、映画人の幸福であろう。

こうして、互いの作品と人間が出遭い、文化の衝突と融合が起きることによって、あたらしい価値の創造が生み出されるということ、映画は世界の人々の対話の回路となり、我々は映画を通じて尊崇と互恵の念をもって連帯できるということを、本研究は明らかにしたものと考える。