ドキュメンタリー 『南房総の戦争遺跡をたずねて』

平成19年度千葉県メディアコンクール最優秀賞受賞作品
この作品は、東京情報大学映像ゼミ(伊藤敏朗ゼミ)の学生たちが、「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」(現在は安房文化遺産フォーラムに改称)の案内で、房総半島に遺された戦争遺跡を訪ね、自分たちの郷土の歴史と文化を考えたものである。この作品で伝えたかったことは、戦闘や空襲といった戦争体験だけが戦争だったのではなく、このような戦争のための施設が、房総半島に無数に設けられていった時代があり、多くの人々の営為があったということを、千葉に暮らす若者としても、しっかりと知ることの大切さである。このような遺跡の存在は、とりもなおさず、房総半島の地政学的重要性を示すものであり、長い歴史をふりかえってみれば、この土地での豊かな文化交流の足跡を見いだす‘よすが'ともなるものなのである。このような歴史遺産は、実はどこの土地にも必ずあり、私たちに今もさまざまな問いかけを発している。そのことに気がついたとき、私たちは郷土についてより深く考え、郷土を愛することができるようになるだろう。

■「NPO安房文化遺産フォーラム」のホームページ (リンク)

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▼本編の内容と各パートのMPEG1動画像データ(各60秒〜90秒)

大房岬の探照灯跡といわれる施設
房総・大房岬を訪れる大学生たち。美しい緑の公園の中を進むと、その一角にトンネルが出現する。真っ暗なトンネルの奥に進むと、そこは行き止まりになっている。戦争当時、ここには巨大なサーチライトが格納されていたといわれるが、大学生たちには、その姿が想像できない。

合宿所でのミーティング
大学生たちはその夜、県立大房岬少年自然の家に宿泊し、勉強会を開く。戦争前から戦争中にかけて、房総半島には、帝都、すなわち東京を守るための重要な軍事施設が多数構築されていることがわかり、そのほかの戦争遺跡についても調査していくことになる。翌日、大学生たちは、「NPO南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」(現在は安房文化遺産フォーラムに改称)の佐藤さん夫妻をガイドにお願いして房総の戦争遺跡を訪ねて歩くことにする。

赤山地下壕
学生たちは、佐藤さん夫妻のガイドで、赤山といわれる小高い山に掘られた巨大な地下壕に入る。この地下壕には発電機室、倉庫や治療所などがあったのではないかといわれている。壕の壁には60年前のツルハシの跡が鮮やかに残っている。大学生たちは冷えた地下壕の中で、戦争中の人々は何を考え、何をしていたのかに思いをはせる。

洲ノ崎海軍航空隊戦闘指揮所跡
大学生たちは、弾薬庫の跡や巨大な砲台跡を歩き、洲ノ崎海軍航空隊が作ったとされる地下壕へ向かう。地下壕の奥の部屋の天井にはコンクリートで制作された龍のレリーフが浮かび上がり、その力強い姿に、大学生たちは思わず息を呑む。この龍がどのような意図で制作されたのかは謎だという。

洲崎海軍航空隊射撃基地跡
洲崎海軍航空隊の射撃基地跡。標的となった壕の壁には、今でも弾丸の跡が遺されている。

掩体壕(えんたいごう)
戦闘機を隠すための掩体壕(えんたいごう)と呼ばれる格納庫。かつて、この掩体壕にはゼロ戦が格納され、出撃に備えてエンジンが唸りをあげていたのであろう。

震洋(しんよう)発進用滑り台跡
震洋(しんよう)と呼ばれる特攻艇の発進用の滑り台の跡。震洋は250キロもの爆薬を積んで乗員もろとも敵艦に特攻するための高速のベニヤ製のボートであった。しかし、震洋の出撃態勢が整ったときは終戦を迎え、この場所から震洋が出撃したということはなかった。震洋の発進基地は、説明を聞かなければ古い船着き場のようにしか見えず、現代の風景に馴染んでいる様子が逆に印象にのこる。

特攻機"桜花"カタパルト跡
桜花(おうか)と呼ばれる特攻機のカタパルト(発射台)の跡を訪ねる。この施設の完成間近に戦争が終わり、ここから実際に発進した桜花はなかったという話を聞き、大学生たちはほっとする。

池田恵美子さんのお話し
「NPO法人南房総文化財・戦跡保存活用フォーラム」(現在は安房文化遺産フォーラムに改称)の事務局長、池田恵美子さんと、戦後の米軍の上陸地点である海岸に立って、同フォーラムの活動の意義やメッセージを聞く。

エンディング
大学生たちは戦争という時代の人々の営みに思いをめぐらし、現在の平和の意味について深く考えて、作品を締めくくる。