初出:『一夏会報』 Vol.44 (1994.12) pp.43-52

司書・学芸員のための「視聴覚教育」「視聴覚資料」




伊藤敏朗




1.シンポジウム「学芸員のための視聴覚教育」

 教育工学関連学協会連合の第4回全国大会にお いて、日本視聴覚・放送教育学会の自主シンポジ ウム「学芸員のための視聴覚教育」が開催された ので出席した(10月9日於・岐阜大学)。
 いま、各地で博物館が急増し、情報サービスの あり方も大きく変容しつつある。そこに働く学芸 員に必要な資質や技能とは何か、そして大学の学 芸員養成課程の必修単位となっている「視聴覚教 育」という教科には何が求められているのかを考 えようという場であった。これまで教育方法論の 一分野として確立されてきたこの教科を、学芸員 養成にもそのまま適用していて良いのだろうか、 という大きな問題意識が生まれているのである。
 シンポジウムの冒頭、主宰者の宇佐美昇三教授 (駒沢女子大学)は、次のように問題を整理して 問いかけた。

1) 各大学では「視聴覚教育」を、教員・社会教育 主事・司書・学芸員などの各種資格の取得志願者 を一緒にして履修させる傾向があるため、各分野 にとってみると、必要な内容がなかなか深まらな いという面がある。
2) 一方、現実の博物館の展示活動や情報提供手段 には視聴覚メディアがますます多用されるように なり、博物館独自の映像ライブラリーや画像データ ベースを構築・運営したりするなどの仕事も急速 に増えている。
3) このように学芸員に求められるメディアの資質 ・技能が複雑化・高度化しているのに、学芸員養 成のための「視聴覚教育」の指導モデルや専門的 テキストといったものは殆ど開発されておらず、 社会的な要請に応えていないのではないかと懸念 される。
4) だが、現状の各大学における教室設備や開講形 態(多人数教育・非常勤講師の多用・集中講義等 )のもとで、これらの問題はどこまで改善可能だ ろうか、困難が予想される−。

 言うまでもなく、これらの指摘すべてが司書・ 司書補養成のための「視聴覚教育」「視聴覚資料」 のあり方にも当てはまる。既に始まっている学芸 員・司書課程の単位科目の見直しの動きとも絡め 議論の高まりが期待される問題なのだが、こと図 書館学教育の世界で同様な検討はなされているの かどうか、筆者は寡聞にして知らないのである。
 当日は、大学・短大で視聴覚教育を担当してい る教師、博物館に勤務し実習生を受け入れる立場 でもある学芸員、博物館の展示活動に視聴覚的な 手法を提供している業界関係者らがパネラーとな り、実施している教育のシラバスや、博物館の現 場での問題意識などについて報告された後、会場 も含めて活発な討論が行われた。
 学芸員を養成する教師の側からは、さまざまな 制約の下であっても、できるだけ受講生に博物館 への見学を課したり、少しでも実技的な要素を採 り入れるなど、学芸員養成における視聴覚教育の 位置づけに腐心されていることが紹介された。教 室を博物館に見立てて簡単な展示実習を行い、展 示する側と見る側のグループに別れて制作意図と 批評を交換するなどのユニークな試みなどには感 銘を受けた。また放送教育開発センターで、学芸 員養成課程をもつ大学向けのビデオ教材を製作し ている例も紹介され、将来的には様々な博物館の 仕事(フィールドワークや研究・展示活動など) についてのマルチメディア教材を制作していきた いというような夢も語られていた。
 しかし、教職など他の資格取得志願者と一緒の 講義では、博物館について触れる時間は全体の5 分の1程度になってしまうとか、他科目との日程 の関係によっては、受講者は授業を受ける時点で は博物館そのものについて何らの概念も教えられ ていなかったり、実際に博物館に行ったこともな いといったケースもあり、そうした前提で、多種 多様なテーマを持つ各地の博物館や美術館、さら に動物園、水族館までを対象に、その視聴覚メデ ィアの利用について教えるというのは決して易し いことではない、という苦心談には頷かざるをえ ないところがあった。
 また現実には、学芸員資格を取得しても、卒業 後に博物館等に就職する者は非常に少ないという ことを考えれば、必ずしも現場のニーズというこ とにとらわれなくても良いのではないか、とか、 教師と学芸員とは協力的に互いの仕事を知ってい ることも大切なのだから、ことさらに教師向け・ 学芸員向けといった内容を意識しなくても良いの ではないかというような意見も出たりした。  しかし博物館側からの発言を聞いていると、学 芸員を養成する大学と、受け入れる博物館との接 点は不思議なほど少なく、大学における学芸員養 成にはやはり大いに注文したいことがあるという ことのようである。そして「学芸員はどんな仕事 をしているのか」という的確な情報を教えること が、情熱的で社会的な役割を担う意識をもった学 芸員を育てるのだという指摘は、図書館学教育に おける同様の問題と絡め、大いに考えさせられる ものがあった。

2.メディア・エデュケーションのあり方と筆者 の試みのこと

 さて、「視聴覚教育」において扱われるカテゴ リーは非常に幅広いのであるが、これを無理に3 つまとめてみると、

第1に、画像メッセージと言語メッセージの特質 の解明、ならびにメディアの影響力についての分 析的理解。
第2に、その教育・コミュニケーション場面での 効果的適用の方法論の開発と、そのための技能の 習得。
第3に、これらコミュニケーション体系の統合的な 把握による必要な諸要素の組織化と運営管理、と なる。

 近年、映像メディアの世界的な影響力の増大に ともない、そのメッセージにたいする批評的かつ 創造的な洞察力を養い、メディアとの良き能動的 関係を築くことのできる「メディア・リテラシー 」というものの習得の重要性が指摘されるように なった。ここにおいて「視聴覚教育」も、メディ アによる教育という側面と、メディアについての 教育という両側面をあわせもった“メディア・エ デュケーション”というカテゴリーとして、改め てその意義が認識されてきていることは注目されな ければならない。
 次に図書館・博物館の現場で求められる視聴覚 メディアについての知識・技能をまとめてみると 、上述の教育内容に加えて、

1 資料の収集・製作 (記録)・保存・修復等に 関すること、
2 資料の組織法に関すること(映像データベース の構築やドキュメンテーションを含む)、
3 資料の公開・提供サービスに関すること(プロ グラム立案や展示活動、施設・機材等の提供・管 理を含む)、
4 図書館・博物館の教育的機能に関すること(学 習プロセスの提供、各種講習会・相談指導の実施 を含む)、
5 視聴覚文化の基盤構築に関すること (関係機 関との相互協力や専門的職能の確立、および著作 権問題の検討を含む)

などのことがあげられよう。

 最近では、ひとつのコンピュータの上で映像情 報と文字情報とを統合して扱ったり、それを光通 信網で伝送するなどの技術が長足の進歩をとげつ つあるが、こうしたマルチメディア環境下でのワ ークステーションやネットワークの利活用能力が 、これからの司書・学芸員に必須なものとなって いることも周知の通りである。
 これらの全てが、いま、司書・学芸員のための 「視聴覚教育」「視聴覚資料」の教育内容として も求められる要素であると言える。とはいえ、こ れだけのことを1単位の中で十分に教授するのは 困難だし、一人の講師の守備範囲に収まるもので もなかろう。授業時間数増加の必要を感じるとと もに、現代のメディアにたいする図書館学・博物 館学の教育科目全体のとり組みの問題として大い に議論されることが望まれてならない。
 そうした抜本的問題は仮に置くとして、前述の ような全体像を踏まえた上のことであれば、限ら れた講義時間の中で、内容のどこに力点を置きど のように授業を組み立てるかは講師の創意工夫に かかる責任であろう。受講者数や設備などの条件 も絡めて、要はバランスの問題となる。例えば、 座学は半分程度にして残りはビデオ番組の製作実 習を行うといった方法もあるし、簡単な画像デー タベースを作ってみるなどの優れた実践例も側聞 するが、図書館学教育のためのメディア・エデュ ケーションについて正面から取りあげた事例とい うのはまだまだ少ないような気がする。冒頭のシ ンポジウムのような先例に倣い、‘司書(補)養 成に必要なメディア教育’の姿を鮮明に提出して いくために、ご関係の先生方にはぜひ自らの教育 プログラムやテキストをオープンにして頂き、そ の要諦をお教え願いたいと思っているような次第 である。

 −などと言っているうちに、筆者自身も本講習 で司書補の「視聴覚資料」を担当させて頂くよう になって4年が過ぎた。本当ならいつまでも新米 のふりをしていてはいけないのだが、いまだに試 行錯誤を重ねているところである。
 前述のバランスの問題でいうと、本講習では既 に図書館に勤務されている受講生も多く、司書補 という職務内容も勘案して、「現場で役立つ知識 ・技能」ということを常に念頭に置いてきた。筆 者の講義を受けた方が、自分の図書館に戻って、 「こんなことも教わってこなかったの?」「これ 見たことないの?」などと言われるようではいけ ないと思い、いろいろな形態の視聴覚資料(ざっ と50種類くらいだろうか)の実物を教室に持ちこ んで解説をしている。持ちこめない資料(例えば フィルモン蓄音機など)はビデオに撮って見ても らう。鶴見大学の総合視聴覚教室は、教卓に教材 提示カメラとVTR、各受講生の机にモニターテ レビが設置されているので、こういう資料の提示 にはまったく理想的である。勿論、あれもこれも という話しではなくて、ハードウェアの変転極ま りない状況を見定め、その上で変わらぬことのな い文化としての‘視聴覚的な情報’の価値を伝え ていく仕事の大切さを考えて欲しいというのが本 心である。
 機器の操作方法にも触れるが、実習はできない し、マニアのための講習ではないので微に入り細 に入りはしない。ただ普段、われわれが見慣れて いるはずの映画やVTRの基本的な原理や構造の ポイントについて、多少戯画化もしつつ平易に解 説するように努めている。例えば映画フィルムの 間欠運動とシャッター羽根の同期とか、テレビに おける走査線といった概念を把握しておくことは、 機械操作のための技能というより、さまざまなメ ディア変換の関係性や情報サービスの基礎知識と して、さらには社会生活においても必ず役に立つ 筈だからである。
 一方、視聴覚資料の目録法演習にも力を注いで いる。幾つかの実例を解説したあと、こちらで用 意したビデオソフト(今年はTBSビデオの『新 世界紀行』と、ビクターの『映像でつづる20世紀 世界の記録』のシリーズであった)を各人に持ち 帰ってもらい、自宅のVTRで再生したタイトル ロールを最優先の情報源としてNCR87年版に従 って目録を採るという宿題である。ここでも重要 なのは、ただ記述の順序や区切り記号法を覚える というのではなく、標準化された図書の目録規則 によって視聴覚資料の目録も採れるということ− すなわち資料形態の壁を越えた情報サービスとい うものの基礎的なセンスを獲得することである。
 ところでこういう宿題なら、トップとエンドの タイトルロールだけをVTRの早送り機能で見て しまえば良いわけで、実際の仕事ならそうするの だが、本講の受講生の皆さんは案外と全編を通し て鑑賞し、その内容に面白がったり感動したりし てくれているということが講義後のアンケートな どからわかる。こうした機会に「視聴覚資料って 面白いな」と思ってもらえればしめたものである。 実は講義の前段で視聴覚資料のさまざまな特性に ついて解説してあることも受講生の皆さんの鑑賞 態度に変容を与えている筈で、このあたりのこと が筆者の本当の狙いでもあるのである。
 講義では、デューイやデール、ブルーナー、波 多野完治らコミュニケーションの理論家の言葉を ひもときながら、その意味するところを実際の映 像資料と対応させつつ解説している。例えばデー ルが「映画の特性」で述べた「時間を速めたり遅 くしたりできる」「事物のサイズを広げたり縮め たりできる」「遠い過去も現在も教室の中に持ち 込める」といった事柄に対応して、スローモーシ ョンや微速度撮影、顕微鏡映像、歴史的ニュース 映像などを見てもらう。
 ほかにも「世界の教育放送」「世界のコマーシャ ル」「図書館が出てくる映画」 などのテーマごとに 編集したビデオを見ながら、いかに映像メディア というものが、図書・文献情報だけでは掴みきれ ないような、対象の具象的で実感的な内実を与え 、豊かなイマジネーションやモチベーション(動 機づけ)をともなって、その本質的理解をもたら してくれるものかということを解説する。このよ うな強い学習効果や訴求力(それゆえの弊害も含 む)といった特質を踏まえた上で、20世紀以降に おける人類の文化的資産としての側面にも触れな がら、図書館資料としての収集・提供の意義を訴 えているつもりである。
 ただ何よりも図書館員自身が、‘視聴覚資料は 面白い!’という気持ちを根っこに持っているこ とが大切なのであって、本講義がその何らかの良 い契機になってくれれば、それに過ぐるものはな いということを念じているのである。

3.ビデオ・オン・デマンド時代の図書館と視聴 覚サービス

 こうした映像メディアの特性や影響力、あるい はその文化的価値といったものについては、普段 の社会生活において一般の人々も漠然とは感じて いるものである。ただ、それを実際の映像と丁寧 に対応させ、分析し、整理してみせるということ が、映像メディアについて講義する者の役目とし ては大事なことだろうと思っている。また、こう いうことに図書館員が積極的に問題意識を持って いるのでないと、図書館の視聴覚サービスとは何 かということがまるで分からなくなってしまうの ではないかと心配されるのである。
 4年ほど前のことだが、ある記者が都内の公共 図書館を訪れ、視聴覚サービスの実情やその意義 について取材した記事が雑誌に掲載された。記事 では、その時に対応した図書館員の説明がどうに も歯切れの悪い、曖昧なものであったのを茶化し たような文面になっており、最後は「税金つかっ てレンタルショップやる必要があるのか…」とい った感想でしめくくられていた。
筆者の講義ではこの記事のコピーを配り、「こ れを読んで、あなたなら“図書館の視聴覚サービ スはレンタルビデオ店とはここが違う”というこ とをどう説明できるか、この講義で学んだことを 踏まえて意見を述べよ」というレポートを毎年課 している。ここに正解めいたことは記さないが、 受講生の皆さんが極めて論理的に、堂々たる反論 を展開しているレポートを読むことは採点時の筆 者の楽しみである。しかし、こうした訓練に触れ ていないと、現職の図書館員でさえ自館の視聴覚 サービスを、「流行だからあっても良い−客寄せ のためのもの−図書館本来の仕事ではない」とい った程度にしか考えていないことが実は少なくな い。こうした認識を向上させるには、例えば、‘ 人間の認知−概念化は、言語情報と映像情報の異 なる特性の間で互いに渡り合う作用によって深ま っていき、内実をともなった理解となる’といっ たようなコミュニケーション原理の問題を、図書 館学教育の全体(現職者研修も含む)の中でしっ かりと押さえていくことが必要ではないかと考え られる。
 そして図書館の利用者が、あるテーマを求めて、 あるときは本で−あるときは写真やビデオで−あ るときはコンピュータや実物標本で−と、メディ アの壁を越えて知的興味をワクワクと膨らませて いけるような、発見のよろこびに歓声をあげるこ とのできるような仕掛けをつくっていくことが、 図書館利用の感銘を深め、その意義を高めていく ことになるのだ、ということを強く意識していく べきだと思われる。そうすれば視聴覚サービスに たいする認識も、‘あっても良い’から‘欠くこ とのできない’ものへと改まっていくだろうし、 その姿勢なしには、これからのマルチメディア時 代に適応した図書館づくりなどは不可能だと言え るだろう。
 最近では、ビデオ・オン・デマンドという新し い技術が知られるようになった。これは、長時間 のビデオ映像をコンピュータのメモリー(ビデオ ・サーバー)に蓄えておき、複数の利用者(クラ イアント)が、それぞれ好きな時間に好きな番組 をリクエストして、映像が送出されるというシス テムで、米国の一部のCATV局で実験的導入が 始まっている。まだ将来のことではあるが、この ようなシステムが実用化され普及すれば、図書館 の視聴覚サービスなども無意味化するのではない かという意見がある。
 これはマルチメディア時代になれば、本はなく ても良いというような嘘論とはいささか性質の異 なる興味深い仮想問題である。求める映像をいつ でも見ることができるのであれば、それを見るた めのモニターの裏側の仕掛けが、ライブラリーに 所蔵されたパッケージ系メディアか、光ファイバ ーで送られてくる通信系メディアかということは、 利用者にとってはブラックボックスでも構わない からだ。そういう時代になれば、図書館員にとっ て、少なくともVTRの構造や維持管理のための 知識はあまり必要のないものになるかもしれない。

 いま司書・司書補になろうとしている皆さんが 図書館員となって働いている間に、こうした技術 革新は確実に訪れる。その時、講習で何を学んだか 、何が大切だったかを振り返るとすれば、結局、 ここまでに述べたような図書館における視聴覚サ ービスというものの意義についての考え方とか、 ポリシー(哲学)といったものに尽きてしまうだ ろう。
 言うまでもなく、筆者はビデオ・オン・デマン ドの時代になっても、いやそういう時代ならばな おさらのこと、視聴覚メディアの特質やその文化 的価値についての深い理解に立った、‘メディア ・ナビゲーター’としてのAVライブラリアンの 仕事がますます重要なものになってくると思って いる。
 とすれば、筆者が前述した「現場で役立つ知識 ・技能」というものは、その意味では「すぐに役 立つ」ということではなく、本講習の受講生の皆 さんが、今後図書館員としての仕事を続けていく 上で、あるいは市民として図書館を守り育ててい こうとする上で、「本当に役に立つ」ものでなけ ればならないだろうと思われてくる。
 こうした図書館サービスとしてのポリシーの問 題と、視聴覚資料の実務的な問題とを、限られた 時間の中でいかにバランスよくこなしていくか悩 みは尽きない。ともすれば理屈っぽくなってしま いがちなのが、こうした‘サービス論’だが、実 践に即して話しをすればそんなに難しいものでは ないような気もしている。例によって教室の前に ビデオカセットを山と積み、図書館の現場で拾っ た様々なエピソードを織りまぜながら楽しい講義 を組み立てていくことはできる筈だと信じて、ま た1年、頭をひねることになるだろう。




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