産経新聞2007年6月19日千葉版 より 


 

日本とネパール映画でつなぐ 

東京情報大の准教授 12月にも現地公開

 

 日本とネパールの架け橋に−。千葉市若葉区の東京情報大学総合情報学部の伊藤敏朗准教授(49)が監督を務めたネパール映画「カタプタリ(人形)〜風の村の伝説〜」が、2月から3月にかけてネパールで撮影された。ネパールを代表する俳優も数多く出演し、初の日本人監督によるネパール映画として、制作発表は現地のメディアに大きく取り上げられた。作品は早ければ首都のカトマンズ市内で12月にもチャリティー公開され、海外映画コンクールへの出品も打診されている。(中村真由子)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現地スタッフを指揮しながら撮影を進める伊藤准教授(中央右)

 

■不思議な郷愁

 

 作品は「山から下りてきた妖精と少年の交流から、歴史的な建造物保存の重要性を訴えかける」という内容で、監督の伊藤准教授自身が約400万円を工面し、自主制作した。大学では映像メディアのゼミを担当。これまでに日本映画を撮影した経験もあり、監修技術にはたけていた。

 ゼミではこれまで数人のネパール人留学生を受け入れ、穏やかで温かな気質に「どんな国民性がこうした子供を育むのか」と漠然とした気持ちを抱いていたが、ネパールで映画を撮るとは夢にも思わなかった。

 ところが、県立市川工業高校(同市平田)の生徒が派遣された「ネパール王国国際技術ボランティア」の映像編集を手掛けた縁で昨年、このボランティアに同行したところ、現地で不思議な郷愁を覚えた。

 カトマンズ市内は街中に宗教施設のような建物が数多く立ち並び、人々は生活の隅々に神が宿ると信じ、敬う。「いつか映画にしたいと温めてきたファンタジーの脚本の舞台に最適。ここが舞台なら、うまくいくかもしれない」。背中を押されるようにネパールでの撮影を決めたという。

 

■「異文化」痛切に

 

 今年2月、ゼミ生2人を連れてネパールに出発。物語の重要な小道具にと大小40個の「風車」を携えた。現地のコーディネーターが配役した主演女優は「現地で知らない人はいない」というミティラ・サルマさん。撮影はナガルコットの山奥、「風の村」と呼ばれる小さな集落「ゴラ」【バタセダラ】を中心に行われた。

 突然の停電や気まぐれな天候などに悩まされ、撮影は順調ではなかった。出演した少年が1カットごとに踊りながら祈りをささげるなど、動作が変わるたびに撮影は中断した。

 録画テープを変えるたびに機材に祈る現地スタッフを見て、「異国での撮影」「異文化」を痛切に感じるとともに「『そんなに壊れそうな機材なのか』と少し不安になった」と笑って振り返る。12日間の予定だった撮影24日間に延びた。

 これまでネパールを舞台にした外国人が手掛けた映画は、人身売買や過酷な労働など悲惨な社会問題を扱った作品が多かった。こうした「否定的」なストーリーは、現地の人に必ずしも好意的に受け入れられてはいなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

民族衣装をまとった主役のミティラ・サルマさん(左)と監督の伊藤准教授(右端)

 

 

■村人も撮影協力

 

 それだけに今回、ネパールのまばゆいばかりの風土や建築物にひかれた日本人が撮影に訪れたことは、現地で熱烈な歓迎を巻き起こした。そもそも隣国の映画大国、インドの影響を強く受けるネパールでは、インド文化圏以外の外国人監督が映画を撮影すること自体が珍しかった。

 祭りのシーンには、総勢300人の人々がはるばる峠を越えてやってきた。妖精が山から牛車で下りてくるシーンの撮影のため、撮影用の道路を造る際は村人が次々と協力を申し出た。

 携えた風車は、映画を介した交流の中で「ネパールと日本の心を結ぶ象徴」として使われ、大自然の中で神秘的な映像を作り出すのを演出した。

 伊藤准教授は「想像していたよりも数段も素晴らしい映像を撮影できた。」と出来栄えに自信を見せ、「映像の美しさにゼミの学生たちも驚いています。ネパールと日本の文化が融合を両国の人に見てほしい」と話している。

 (2007/06/19 03:03)