平成15117

東京情報大学情報文化学科

伊藤敏朗ゼミ

 

 

就職についての留意事項

 


就職活動の時期はいま

 

就職協定撤廃後のわが国の一般企業は、大学新卒者の会社訪問時期を、3年生の2月から3月中に設定しています。企業が新卒者採用枠で対応してくれるのは、この「2〜3月中に訪問した学生」に対してのことであり、4月になって訪れた学生は、「4月さん」と呼ばれ、就職する意欲の希薄な学生とみなすのです。

昨今の傾向からして、5月を過ぎてからは、通年採用枠として、中途採用希望者にまざっての選考となります。少ない枠を豊富なキャリアを持つ年長の人々と奪いあう苛烈な競争であり、採用の見込みはよりたちにくいものです。

本学の過去の経験からすると、就職に成功した学生と、そうでない学生とでは、本人の姿勢に最初からおおきな違いがあったことは歴然としていますが、よく調べてみると、結局のところ、それは就職活動へ本腰を入れた時期の違いだけ、すなわち、3年生の2〜3月中にどれだけ多くの企業を訪問していたかという差「だけ」に尽きるようです。

その時期に成果があったかどうかは必ずしも問題ではありません。仮に内定をもらえるのが少し後になったとしても、その数をこなすことが、面接への対応スキルをたかめ、おのずと本人を鍛えるのです。そういう「姿勢」の差が、最後の結果に如実に出るのです。本学の例でいえば、3月中に1社も会社訪問をしたことのない学生が、(縁故採用を別とすれば)卒業時に至るまでに、就職先を得られることはほとんどありません。

このことは、平素の就職指導でも再三強調してきたことで、当ゼミの学生諸君はよく承知なさっていることと思いますが、情報大学は閑静な立地にあるせいか、どうも一般社会からの刺激を受けることが少なく、2月のなかばになっても、就職活動に本腰がはいらない学生が少なくありません。

しかし、他の大学の生協などでは、11月ともなれば一斉に就職モードとなり、リクルートスーツのマネキンが林立し、就職ノウハウ本を平積み大売り出しするなど、大学の空気が一変し、学生たちは怖いほどぴりぴりしています。そういうところの学生が、みなさんとの競争相手なのです。大学の親しい友人が就職活動をしていないのを見て、「まだ(就職活動を)しなくてもいい」などとは夢にも思わないでほしいと思います。それに就職活動を熱心にやっている人ほど、隠したがるものです。

このため、大学では3年生までの間に4年分の単位取得を済ませ、4年生の春で就職内定を決めたあと、あらためて卒論に取り組むという授業計画が普通になりました。現時点では何よりも就職活動が最優先なのであり、伊藤ゼミでもこの時期には、課題を課したくてもできない状況であるわけですが、内定が決まって、5月の連休が明けてから、落ち着いて卒論にとりかかってもらえば良いと思っております。

 

この時期のアルバイトは言語道断

 

このように、この時期の就職活動こそ、みなさんの人生でも、これ以上真剣になることはないというほどの最優先の事項です。ところが中には、生活費や遊興費、自家用車の維持費などのために、この時期になおアルバイトを行うなど、就職活動のための貴重な時間をむざむざ失う人がいます。アルバイトを続けることで、そこの正社員として採用される道が開け、それが本人の希望であるというケースを除いて、まだバイトをしている人がいたら、ただちに辞めていただきたいところではあります。

これはご家族の皆様にぜひご理解ご支援賜りたいことですが、もしこの時期、本人がお金に困ってアルバイトをしなくてはならない状況でしたら、いまだけは、どうか生活費をはじめ、会社訪問のための交通費、リクルートスタイルの調達費用、セミナーへの参加費用、企業研究や就職関連図書の購入、新聞購読料(新聞をとることはもちろん必須事項です)などの費用を、ご家庭でご負担願いたいのです。本人が食費を切り詰めて青い顔をしていたり、風邪で寝込んだりしないよう、気をつかってやっていただきたいのです。下宿先で不規則な生活時間になりがちでしたら、実家に呼び戻すか、ご家族が下宿先を訪ねるかして、本人の全エネルギーが就職活動に向けられるよう、物心両面での全面的なご支援をいただきたいと思います。

なかには継続中のアルバイトを辞めにくい、代わる人がいないので断わりにくいというケースもあるかもしれません。しかし、アルバイトの雇用契約というのはいつ辞めても自由であり、それで雇用者が迷惑したり、店が開かず損失が生じたとしても、一切弁償の責任などありません。雇用主は安い賃金で経験のあるアルバイトを束縛したいものですが、学生本人にしてみれば、ここで貴重な時間を失うことは区々たるバイト収入とは比較にならないほど大きな損失なのだということを、理解しておく必要があります。この時期、アルバイトをしている人は、要するに、一生涯、就職する気がないと言われても仕方ありません。(やや話しはズレますが、テレビゲームやギャンブルに興じたり、旅行したり、飲み歩いたりといった「息抜き」も、内定獲得までは我慢してください。会社訪問の合間には、すこしでも新聞を読み、本を読んでください)

 

社会人になってからはじめて見えてくること

 

自分の人生を決めるのはまだ早い、もっと自分の適性をみきわめ、社会の様子をみわたしてから世の中に出たい、というような人もいます。投げやりだったり不真面目なのではなく、良心的なゆえとも言え、その気持ちはわからないではありません。

しかし、世の中のことは、学生の立場から見ている間には、なかなか見えてこないことも多いのです。社会人になって、多くの人と出会い、行動範囲がひろがり、組織の一員としての責任や権限を持ってみて、はじめて世の中とはこういうものだったのかと気づくことのほうが多いものです。そしてそれは、とても面白いものです。

職業人になることは、けして青春が終わることではなく、むしろ、本当の自分の力が発揮でき、活躍できる場を得ることです。どんな仕事でも、一生懸命にやってみれば楽しいものであり、そのための勉強も面白いほど自分の身につきます。そして、生涯にわたって勉強をし続け、成長しつづけることができるのです。みなさんの成長を学生のレベルのまま留めておくことは惜しいことだし、そもそも、それは望んでもできないことです。時は待ってくれず、人は必ず老いるのです。これは諦めるほかない人間の宿業です。

誰も、自分の人生をすべて納得ずくで生きることはできません。働くにはまだ早い、結婚するには早い、子どもをもうけるには早い―と思っているうちに、時が自分を追い越していってしまうのです。私たちはそうやってあっという間に過ぎる時間のなかで、懸命に生きていくということしかできないし、それができれば素晴らしいことなのです。世の中の多くの人が、それぞれ、そうやって懸命に生きているのだということを知ってこそ、お互いをいたわり、尊重しあえるようにもなるのです。そういうまなざしで世の中を見渡すと、学生時代とはまったく違った世の中が見えてくるはずです。そういう「大人」になってくれることを、社会や企業は、あなたに求めているのです。 

 

あなたに与えられた最大のチャンス「新卒者」

 

本人が、世の中を見渡して、それなりの自覚ができた後で社会に出たいとなどと言って、なかなか就職活動に本腰が入らない人がいたとしても、それはもし、その人が、本当に素晴らしい能力を持っているのであれば、就職や転職はいつでもできるのかもしれません。しかし、多くの人間は私を筆頭にただの凡人であり、多くの学生は「普通の学生」なのです。そして、普通の学生が唯一持っているセールスポイント、企業が買ってくれる美点とは、「新卒者」という、真っ白な状態(とみなすことのできる)の若さ「だけ」なのです。

企業は決して、いま能力が高い学生を欲しいのではなく、「若くて可能性がある人」を自分の仲間として育てて、一緒に会社を手伝っていって欲しいのです。

したがって、皆さんのことを、企業の側から(に限って)見てみた場合の今の時点の財産・能力・美点とは、「今、大学3年生である」というただ1点だけです。「しばらく様子を見て考える」ことを許されるとすれば、その人の能力と覚悟は、それはもうハンパなものであってはなりません。そんな凄い能力を持っている人はきわめて稀です。

仮に卒業までには就職が決まらず「人生の様子を見極めていた」あとで、やっとどこかの企業に就職を希望したとしても、あなたの履歴書に「卒業後のブランクの時期」があれば、企業は絶対に採用はしません。履歴書の上では、大学卒業後は、「ブラブラしていた期間」がなく、いずれかの企業への就業期間がつながっていることが必須条件です。

もし、万一、あなたが必ずしも意に染まない会社へ就職してしまったとしても、再チャレンジの権利をキープするためには、絶対に一度は就業しておくこと、そこでやりなおしを考えるなら、そのための中途転職の路はまだ残されています。

しかし、「社会に出るのを、なんとなく躊躇」して、就職浪人をしていたような人は、企業からみれば、「大人になれなかった人」として、見向きもされない存在であることを忘れないで下さい。もしもあなたが、単に「このままずるずると就職を決めてしまうのはどうも…」という躊躇だけで、就職活動を行っていないのであれば、それはあまりにも自意識過剰というものでしょう。

 

フリーターという「進路」はない

 

就職は実のところ、その人の人生の幸・不幸をさほど決定づけるものではありません。また、私がここで申し述べている例は、いわゆる一般的な企業への就職を念頭においたものですので、自営業や結婚、家事手伝いなどの人生設計がある人には、あてはまるものではありません。人生には、企業への就職だけでない生き方もありますし、また、公務員や教員を目指す人なども、就職スケジュールは自ずと違ってきますし、NPONGOへの勤務や海外青年協力隊、自衛隊などの経歴についても話しは別になってきます。ただ、公務員志望の方は、昨今の公務員試験は異常なほどの高倍率であり相当な勉強が必要だということを理解して、そのための専門学校へ通うなど計画的に準備してください。公務員試験を狙っての就職浪人は、あまりお薦めできません。司法試験や公認会計士など、特殊な資格をとるのでない限り、就職浪人の経験は一般的にきわめて不利なものとなります。 

企業への就職以外に、本人が生き甲斐をもって取り組む進路があって、ご家族の方々も同意されていることであれば、私から申し上げることはまったく違ってきます。

たとえば、もっと勉強したいといって大学院へ進学することは良いことです。もしご事情が許されるのでしたら、ぜひ本学や他大学の大学院への「進学」をご検討なさってください。そして、「様子をみたい」「勉強したい」ということが成り立つのは、この「大学院へ進学するケースだけ」ということもご理解ください。

わが国の経済状況の見通しはいまだ暗いなかで、この新卒者としての就業機会を逸することは、あまりに冒険が過ぎます。就職活動の数日の出遅れが採用機会の滅失となり、一年の就職浪人をすれば生涯にわたっての就業機会を逸するという厳しい社会環境なのです。これは今後もずっと続く基調でしょう。

困ったことに、日本の企業社会は、終身雇用が崩壊する一方で、中途転職者のキャリアアップには、あまり重きを認めてくれないという、エントリーの機会に乏しい形態になりつつあります。しかし、そういう困難な状況の中でも、「新卒者」を採用して会社の中で育てていこうという企業風土だけは不思議と失われておらず、採用人数に変動があるとはいえ、できることなら毎年、幾人かの「新卒者」を採用しようとする慣習が強くのこっています。これは国際的にみても稀な現象ではないかと思われます。

みなさんにしてみれば、とんだ時代に新卒者になってしまったと嘆いているでしょうが、こんな時代でも、「新卒者」にだけは、きわめて甘い期待値をつけている、かなり優遇的な環境であるのです。そういう、「新卒者(3年生)」の2〜3月という、みなさんのセールスポイントは、「最初で最後」の切り札、一生に一度だけ開かれた社会への大きな扉なのです。

もし、この絶好の機会を逃して、その後の人生で別のチャンスを狙うという人は、それこそ血を吐くような命がけの努力を覚悟してください。それはいま、どんなに辛い就職活動をしているつもりでも、それとは比較にならないほどの地獄の日々です。それに耐えられる強靭な精神と肉体をもちあわせている人は、多くはないはずです。

 

有名企業・大企業ばかりをねらわずに

 

 誰もが知っている大企業、スマートなイメージの有名企業、芸能・マスコミ関係の大手企業などへの憧れは誰もが抱くところです。これらの企業は、自社の人気があることを示す意味もあり、数千人の学生を集めるような説明会を開き、採用の門戸が開いているかのように見せていますが、その競争倍率は現実的なレベルではなく、よほどの能力を示せない限りは、時間の無駄に終わるのは当然です。

企業には、さまざまな理由から、縁故採用ということを重要視しているところがあります。また、特定の大学の特定の先輩後輩の関係や、特的の企業と特定の研究室の関係など、血縁という意味ではないがある種の縁故的、ないし指名採用的な枠は相当な数にのぼります。ある程度以上の大企業で、紹介者もなく、就職活動だけで勝ち上がっていく採用者というのは、むしろ少ないのかもしれません。

みなさんが、そういう広い意味での縁故採用の機会をお持ちならば、それは貴重なことであり、その進路について堅実に検討していただきたいと思います。多少は意に染まなくてもです。それほど、今は厳しい時代なのです。ところが、しばしば学生は、「それは最後の手段」などと、なかなか挨拶にもいかない傾向があります。しかし、縁故採用もずっと待ってくれるわけではなく、その気になったときにはもう遅いということになりかねません。チャンスは最大限に、迅速に生かしてください。

学生によっては、「聞いたこともない会社を受ける気がしない」「そんな小さな会社は恥ずかしい」などと、有名企業ばかりを受けつづけ、落ち続けた結果、自分には能力がないと就職をあきらめてしまう人もいますが、そういう人は実はだいたい業界研究も企業研究もせず、本当の意味での会社訪問もしない怠惰な人です。会社説明会やセミナーなどに参加することは会社訪問のうちにははいりません。まして、インターネットで会社を調べているだけなどというのは、就職活動を放棄してのと同じです。大手や芸能・マスコミなど、学生が殺到するような企業は避け、業種や地域性、採用後の自分の活躍の場があるかなどの現実的な尺度で、地に足をつけた会社研究をして頂きたいと思います。 

私たちは、ふだんの生活の中で接するものの、たいていの製造・仲介・販売の会社の名前など知りません。普通の企業とはそういうもので、「〇〇に就職しました」と聞かされても、「はて?」という反応をされてしまうものですが、それでいいのです。職業選択の幅はひじょうに広いものであり、企業の活動内容もきわめて多岐にわたっています。業界や業種への思い込みやイメージにとらわれず、手広く選択して欲しいと思います。

 

ネットを活用・ネットに溺れず

 

 最近の企業では、インターネットを使って採用情報を公開し、エントリーもさせるというところが増えてきました。したがって、自分の部屋にネット接続されたパソコンがあるかないかは、就職活動の上で、決定的な問題となります。ネット時代になって、就職・採用に関する連絡時間は極端に短くなりました。あと数分で返信しなければ、エントリーリストから落とされてしまうなどということはしばしばです。人気企業ほど、そういう無理難題をふっかけて、応募者の側が失敗したから落ちたという体裁をとろうとする傾向もあるようです。

もちろん、規則正しい生活をしているか(毎日、家に帰っているか)、パソコンをいつもチェックし、使いこなせるスキルがあるか、限られた時間で、マニュアルに載っていない当意即妙な回答がかえってくるか、というテストの意味もあるでしょう。

こうなると、大学の演習室でメールをチェックする程度では、とうていふるい落とされてしまいます。もし自宅にネット接続パソコンがない人は、大至急調達して頂くほかはありません。携帯メールは就職活動にはあまり役にはたちません。

さて、それではネットとパソコンは万能でしょうか?およそ、そんなことはありません。とくに注意して欲しいのは、就職先をインターネット・ホームページで検索して探そうとすることです。それも大事な企業研究の一つではありますが、優良企業でも、必ずしもホームページを公開しているわけではないし、その公開情報も会社についてのごく部分的な顔にすぎません。製造業や小売業でも取扱商品の何分の一もネットでは紹介していませんし、業界や業種によってはネット公開やネット広告など意味がないから、実施していないという分野はたくさんあります。なにより、ホームページの単なるデザインの違いで、まったく印象が変ってしまいます。優良企業のサイトのデザインが、必ずしも優れているわけではなく、その逆はよくあることです。

ネット上のポータルサービス(企業紹介リンクなど)も、単なる広告契約の有無だけで掲載されたり、されなかったりという恣意的なものですし、検索エンジンなども、きわめて大雑把にしかデータを収集していませんから、結果は全くムラばかりのものとなります。ネット検索エンジンの威力に驚いている人には意外なことかもしれませんが、本学の教授によれば、インターネット上での日本語サイトは三億頁、うち、YAHOO!やGOOの検索エンジンがカバーしているのは半分以下にすぎないそうです。

「ネットで企業を探したけれど、自分にフィットする会社がなかった」などというのは単なる怠慢です。業界研究をおこない、就職情報誌や就職用参考書、本学の就職課のデータベースを真剣にチェックし、企業訪問を重ねていくということなしに、自分の会社を見つけることはできません。

 

筆記試験はノウハウ本でいくらでも良い点がとれる

 

現在の企業は一応筆記試験も行いますし、応募者が多ければ得点による足切りもしますが、最近は必ずしも筆記試験には比重を置かなくなり、面接による人物重視の試験になってきました。

こういう企業の筆記試験というのは、ほんのちょっとの準備で十分に合格点がとれるものです。無論、普段から新聞も読まない、テレビでもニュースは見ないということでは話しにもなりませんが、たいていの筆記試験は、一夜漬けとはいわないまでも、今からノウハウ本を3〜4冊買ってこなせば、面接に進むのに必要十分な得点はとれるものです。

だいたい、大学入試などと違って、企業の採用のための筆記試験にはあまり厳密性もないし、出題者もそんなに問題を詰めて考えるヒマもありません。常識的な出題がほとんどであり、ノウハウ本の範囲内です。ふだんの遊びやアルバイトの時間を、ノウハウ本の勉強時間にあてて下さい。

決定的なのは、普通の日本語を書いて話すことができるかどうかということであり、あとは字の読みやすさです。字に癖のある人はぜひ、落ち着いて読みやすい、そしてあまり子どもっぽくない字が書けるように練習してください。とにかくてっとり早いのは、新聞を読む、そして、その文体を自分のものにするように読み込む、ということではないかと思われます。

 

面接官に「仲間」だと思ってもらえるように

 

 現在の採用試験で比重があるのは、なによりも人物面接です。「明るくて元気」「なんでも吸収していける意欲と柔軟性」「真面目にやり通す責任感」など、社会人としてのあたり前の姿について、社会人の眼から見て判断するということです。何より人間ですから、「一緒にいて、なんとなく楽しい、元気づけられる、気持ちのいい奴」に隣にいて欲しいものです。能力が少々あったとしても、一緒にいると気持ちが晴れない、暗くなるような人に、そばにいて欲しくはないものです。そういう、明るさと元気さがあり、人の話しを聞くことができ、組織の活力を盛りたてていける「感じ」のする人を、「仲間」にしたいのです。小さな声でぼそぼそもぞもぞ、では話しにもなりません。

 いわゆる超人気企業以外は、けして大学生を色眼鏡では見ていませんし、大学の知名度も関係なく、出身学部も実はあまり意味がありません。残念ながら企業は大学教育の内容そのものには、あまり関心もないのです。ノーマルな大人としての人間づきあいを学んできたかどうかというような、そういう人間性を育てる体験の場として考えているのです。

企業は間違った人間を採用してしまっても、やたらなことではその人をクビにできません。だから、おのずと採用は慎重にならざるを得ないのです。そんな採用をしたら、面接官自身の会社を潰してしまうからです。

要するに「自分の仲間として一緒にこの会社をやっていけることに“賭ける”ことのできる人間なのか」ということと、「会社の看板を背負わせてお客様の前に出しても大丈夫な人間なのか」ということが大きな問題なのです。

その場合、「見かけは悪いが、胸の奥にはイイモノを持っている、実はいい奴」ではダメで、いまその目の前に、それが意思として見えているかどうかが問題になります。残念ですが、胸の奥にふつふつとたぎっているというのでは意味がないのです。

そういう「やる気」が「前面に」見えない人は、どこにも採用されません。そういう「意思的な人間像」を演じる、やる気満々の若者の「役」をお芝居してくる、というふうに割り切って、最大限の好印象を残してくる、言い方は悪いですが、一生一代の大芝居を打ってくるというつもりで面接に臨んでくるほかありません。

その意味では、就職試験というのも、空疎というか、ナンセンスなものではありますが、企業にしてみれば自らの会社の命運を賭けての真剣勝負です。そういう真剣な場面で、まともに振舞うことのできない人(役を演じられない人)は、お客様の前でも芝居をしてくれないだろう、ということです。芝居ができない役者を使っていれば企業は潰れるだけのことなのですから。

働くということは、真面目に全身全霊でとりくむべきものでもありますが、一面、自分の本来ある姿とは違う、社会人として割り切った役柄を演じるというものでもあります。「腹の中では別のことを考えていてもいい」ということでもあります。そういう割り切りのできる大人でなければ、つきあっていく上で危なっかしくてならない、と大人は考えます。ですから、面接を受けるときには、妙なテレをなくして、恥ずかしがらすに、堂々と好青年(女性)を「演じて」きて欲しいのですが、これが実にできないものなのです。恥ずかしくてモジモジしてしまうものなのです。あるいは「嘘」をつけず、正直になってしまうものなのです。

だからこそ、面接は場数を踏み、度胸をつけ、なかばヤカクソになって芝居を打って、初めて合格できるものなのです。それは、カメラの前で演じた経験を持つみなさんなら、よくわかっていることでしょう。だから、みなさんには十分できることです。演じられるはずです。

場数を踏むためには、いかに早く企業訪問を始めるか、だけです。一緒に試験を受けた他大学の学生が快活で優秀そうに見えたとしたら、それは単に場数を踏んでヤケクソになっているだけだと見て間違いありません。だからこそ、時間との勝負なのです。

面接をうけるときにも、実にノウハウ本が役にたちます。企業の面接官もけしてプロではないので、ノウハウ本を読んでいます。そういう面接官用のノウハウ本も読んで相手の手のうちを知って出かけましょう。面接官が自分によい印象をもってくれていないのでは?と不安になるよりも、「あぁこれは圧迫面接という手法で迫っているのだな」と、平然と対応すれば怖くはありません。

グループ面接なども、情報大生が不得手とするところです。他大学の学生によっては、ディベートなどでへ理屈のたて方を訓練してくる人もいます。そういう学生と一緒に討論をやらされて負けてしまう気がするかもしれませんが、これも能力の問題ではなく、慣れの問題です。面接官は、討論の勝敗などではなく、あくまでも明るくて元気があって積極的で意欲的で、という「姿勢」だけを見比べているのです。うつむいて黙っていれば落ちるのは当然です。

 

自信を持って明るく乗り切ろう

 

 以上、就職活動にのぞむ心得の一部について述べてきました。なんとも就職とは厳しく面倒なものだと思われたかもしれません。実際、企業をまわって、いやというほど落とされもするでしょう。しかし、就職活動はあくまで、ささいな印象や運の差で決まるようなところがあって、落ちたからといって人間性や能力を否定されたわけでも何でもありません。割りきって、明るく乗り切っていくことが肝要です。

 情報大生は、ともすると他大学の学生を過大評価し、情報大や、自分のことを過少評価する傾向がなくもありません。たしかに「東京情報大学のことをよく知っている」という企業は多くはないでしょう。けれども、社会の人は他の大学のことだって、それほど知っているわけでもないし、みなさんの先輩方の活躍のおかげで、東京情報大学の卒業生も立派に社会で使えるという評価はちゃんとされています。

 他大学の学生から見れば、東京情報大学というのは、じゅうぶんに充実した施設をもち、しっかりとした教育をしている大学であって、みなさんは強敵なのです。「メディアで自分のアイデアを表現し、新しい情報文化を創り出す。」という情報文化学科のポリシーとカリキュラムは、絶対に他大学にヒケをとらないものです。とりわけ伊藤ゼミでやっているような教育は、他大学ではまずやっていません。みなさんは、「大学時代に一生懸命やったことはなんですか?」と聞かれて、堂々と「ゼミです」といえる筈ですが、それだけのことを言えない学生のほうが、はるかに多いのです。

あとはみなさんが、それをどう表現するか、自分の言葉でしっかりと練習していくかどうかだけです。紙に台詞を書いて準備し、鏡にむかってしゃべって練習してから出かけて、堂々と述べてきてください。

みなさんはあまりにも簡単に映像を撮影し、コンピュータで処理してコンテンツを作り上げてしまいます。あまりに簡単にやってしまうので、たいしたことではないと思ってもいるでしょうが、そんなことでも、他大学生では、誰でもできるようなことではないのです。それは大いに自慢して吹聴して良いことであり、自信たっぷりに上手に話せば、面接官も必ず関心を示してくれます。

 「私は大学時代を明るくイキイキと充実して過ごしました」「御社はこれこれなので、これこれの理由で、私はぜひ御社に入社いたしたいのです」と、意欲的に大きな声で臆面もなく堂々とたたみかければ、必ず道は開けます。たったそれだけです。

 実のところ、この時期の面接会場では次のようなやりとりが、あまりにも多いのです。「大学時代は一生懸命やったことはなんですか?」「…とくには、ないです」「なぜ、うちの会社を選んだのですか?」「…それは…あまり理由はないのですけど、何となく」。 

これは笑い話しではなく、本当のこと、あまりにも多いケースなのです。いまどき、面接官もこれくらいでは驚かないのです。たいていの大学生の返答がこんなレベルなのであって、ちっともライバルを怖がることはありません。むろん、みなさんも、ろくに準備もせずに臨めば、この程度のことしか言えなくなるでしょう。人間は緊張すると、案外こんなことしか言えないものです。だから場数を踏んで、度胸をつけることが大切だといっているのです。そして、その失敗する体験の経験値を高めていくことでしか学べないのです。

だからこそ、今すぐ会社訪問へ行け、面接を受けよと言っているのです。必要なのは「面接の経験」であって、会社説明セミナーや、筆記だけで落とされてくる経験ではありません。まず有名企業から狙って、落ちたら第2志望へまわるというのは意味がありません。小さな企業、入れそうなところから上がっていく(面接体験を重ねていく)のが、理屈にかなった方法です。そうして内々定くらいを幾つかから貰っておけば、心にも余裕ができ、さらにチャレンジも続けられるのです。

 

やはり結論は、「いますぐ企業訪問せよ」であり、「ノウハウ本を使いこなせ」「明るく快活な好青年の芝居をせよ」というあたりのことに尽きそうですね

 皆さんは私が選んだ人たちなのです。絶対大丈夫です。自信をもってぶつかってください。それでもくじけそうになったら、ご連絡ください。いつでも相談に応じます。