映像表現論U演習 2002年度後期創作演習 作品紹介
モンキーパンキー 作品   

すごろくビデオ




■スタッフ:
栗山徹・角野康介・長島真・春山拓思・パンチャイ.W・福島武史

■キャスト:
部長 由川 崇
部下 春山拓思
マスター(かゆみ)パンチャイ
睡魔 角野康介 
副部長 福島武史
入部希望の子 益田奈央子
部長 栗山徹 
顧問 伊藤敏朗
妖精 鈴木勇人
  ? 長島真 


『すごろくビデオ』 10分

作品の概要:
   短編6編。「6」をテーマにしたおバカ部活物語。

あらすじ・構成等: 
 人間たるもの皆、思い通りに事が運ぶことなど、まずない。そんな時、僕たちは自分を抑制しなければならない。我慢しなければならない。必ずしも好きなことだけが罷り通る世界ではないのだ。そんなことは僕にだって分かる。だけれども、ときに嫌々事、耐えられないほどのことが人間に与えるものは苦痛ばかりではないはずだ。それを我慢したとき、乗り越えたとき、大人の階段ってやつを一段も二段も駆け上がるのではないだろうか。我慢なくして成長は無く、成長無くしては過去も未来も現在までも、あらゆるすべての物事がその価値を失うに等しい。とまあ、そんなことを色々と考えてはみたが、実は僕にとってそれはまったく受け入れがたいことである。我慢・忍耐が美徳とはいうけれど、そんなことせずに本人の好きなように生きることができたらそれでいいのではないだろうか。自分の番が来たら適当にサイコロ振ってデタラメに生きてみるのもおもしろい。成長に価値があろうとなかろうと我慢することなんて結局のところ無意味でしかないのではないだろうか。常識をブチ破るには何かを我慢していては成しえないのではないだろうか。しかしそのような理想を掲げてみたところで実際、好き勝手生きるにもそれなりの節制、つまるところの我慢が必要となってくる永久に矛盾する愚問を僕の脳内に住む彼らに投影してみた。果たして彼らにおいては、我慢を通して何かを得ることができたのだろうか。我慢は人生の経験として残る必要不可欠なものだとしても、それ自体に価値があるものなのかどうかと僕は少しだけ考えてみた。

作品の「見どころ」「苦労したこと」「反省点」など:
   脚本が撮影に追いつかない状態が9月当初から続き、スケジュールに何度も穴を開けてしまった。その上、年が明けても一向に班員は時間通りに来ない(いつぞやのカメルーン代表も真っ青だ)。監督ともども右肩下がりのモチベーション、撮影当日の朝に描いたミミズが這った様な絵コンテ、体たらくで“WORK(しごと)”なんてどこにもあったもんじゃないカメラワークは今の不況そのものだし、登校拒否3ヶ月目突入の小学生のごとく一切の“明るさ”を忘れた映像は激しいひきこもりを決め込んでいる。すべてにおいて穴だらけの文字通り“蜂の巣”班であった。ただ一つ、趣向を凝らしてみたことは言葉遊びを随所に施したことであるので気づいていただければ幸いであるが、映像表現の作品で文章表現に一番凝ってしまったというこれもまた可笑しな話である。以上、言い訳を並べてみた。そんな言い訳などただのみっともない愚行であることに変わりないが、もっともこの皮肉めいた作品においてはおあつらえむきかとも思うので恥を忍んでの行為である。所詮は素人監督の及第点・落第点作品である。雑な演技、映像はどうか温かい目で見てやってほしい。というよりもむしろ、救いを下さるのならば作品を観てやっていただきたくない。出来ることならば目を瞑っていて欲しい。存在するならば神様、どうか今世紀最大の大停電が上映前に起こしてくださいますように。ということで、この作品のみどころは観て欲しくないところとなる。それを言っちゃぁ、お終いよ。ただ万が一、当日ブレーカーが落ちるようなことがあるとすれば犯人探しは容易である。