2001年度 基礎ゼミ1年I組 ドキュメンタリー映画『神の子たち』感想文(一部)
A君
"神の子たち"を観て、大勢の人々が大量のゴミ山を"生活の資源"として暮らしている様子に、私は驚愕しました。
多くの日本人にとって"ゴミの再利用イメージ"と言うものは、「新たに再加工された製品」という印象が第一に思い浮かぶのではないか、と私は思います。主に紙のリサイクルなどが代表例です。私はこの映画を見るまで、"ゴミの再利用"について深く追求した事はありませんでした。映画鑑賞を行う数日前から私がこの映画に対して抱いていた考えは、「裕福でない人々の様子をスクリーンを通して目の当たりにし、深い同情をせざるを得ない内容の作品なのだろう」と考えていました。実際に映画を観てみると、私の予想を遥かに超えた光景がスクリーンに映し出されていました。更に驚いた事は、ゴミ捨て場周辺で暮らす人々の住居の周りにも、膨大なゴミ山が形成されていたことです。私生活の部分までゴミ山で埋め尽くされている光景は”貧困の象徴”とも受け取れて、とても驚きました。
降り続いた雨の影響で大量のゴミが"ろ過"と似たフィルター作用を起こして汚水が大量に流れ出ていた場面がありました。これは、人体にとっても決して良いものでは無いのは誰にでも見当がつくと思います。それに、このパヤタスゴミ捨て場は、2000年7月3日からの約一週間近く降り続いた豪雨の影響でゴミ山の地盤が緩み、その結果一気にゴミ山が崩れ落ちたためにゴミの下敷きになった被害者が多数出ました。事故で亡くなってしまった住民は千人程度と言われているようですが、中には戸籍登録をしていない住民も事故現場付近に大勢住んでいたらしいので、現在でも正確な死亡者の数は不明とされています。被害に遭った住民の救助活動も困難を極め、残念ならが生き埋めになってしまった人々の全員救助は不可能に終わってしまいました。
そして、事故後5日目にはゴミ捨て場を管理する政府がパヤタスゴミ捨て場への投棄処分を禁止にしたのです。この閉鎖により、ゴミを生活の一部として過してきた人々にとっては、まさに死活問題へと追い込まれる日々の始まりでした。この後に展開される映画の内容で、"人々にとってゴミ山がどれだけ重要な物だったのか"を考えさせられ、"ゴミ山=生活の火種"というイメージがこの映画に対して生まれてきました。政府がゴミの投棄を禁止した理由は町の環境をそれ以上悪化させないために施した政策だと思われます。一番の決定的要因は「ゴミ山の倒壊」でしょう。ゴミ投棄を認められなくなったパヤタス周辺区域では、ゴミを資源として生活してきた人々を苦しい状態へと追い込む形になってしまいました。
だが、絶望的な状態に陥っても誰一人として生きる希望を失っていない様子が独特の雰囲気としてこの映画に含まれていました。製作者は、この映画の雰囲気を観客へ伝えたかったのでしょう。日本を例えにあげてみましょう。日本国内では職を失っただけでも自らの命を絶とうとする自殺者が急増しています。この映画を通して、「いかに日本人は精神的に弱い人種だろう」というイメージが浮かんできました。パヤタスの住民は大人だけではなく、数多くの子供達も苦しい生活を強いられ、苦しい状態に追い込まれています。たとえ苦しくても、今の人生から逃避しようとはせずに前向きに生きている様子に、私は感動しました。
この映画は決して「可哀相だな」などと同情する映画では無く、私達が"教えられる立場になって"人間が生きる素晴らしさを学ばされている感覚がありました。同情する場面も幾つかありましたが、映画から教えられたものはそれ以上の価値があります。その価値とは、最後のシーンである各家族の集合場面です。この場面が意味する問いに、映画を鑑賞した人々は気づいているでしょう。この作品は、私達日本人が忘れかけている家族の"優しさ・温もり"そして"絆"の大切さを教えてくれる、ヒューマンドラマです。現代のストレス社会の中で生きる日本人には是非観て頂きたい作品だと思いました。最後に、一度、フィリピンへ足を運び現地の様子を肌で感じるのも、良い勉強になるのではないかと思います。
B君
この映画を観て最初に感じたことは、ドキュメンタリー映画って初めて観るなぁということ。今まで自分が観てきたジャンルとは全く違う感じがした『神の子たち』という映画。ドキュメンタリーというだけに、内容は結構シビアな部分が多く、複雑すぎて感じたところを簡潔に表現できない。すくなくとも面白い映画ではない。かといって、悲しみややるせなさばかりが残る内容でもない。フィリピンのケソン市にある巨大なゴミ捨て場で、ビンやビニール、鉄や銅を拾い集めては、ジャンクショップと呼ばれる店に売りさばいてクラス人々のありのままの日常を、いくつかの家族に焦点を当てながら映像化したものである。とにかく自分は、この映画は非常に淡々としていると思った。
作中には、崩落事故に巻き込まれた人々の無残な死の景色や、水痘症にかかって異様に頭のふくらんだ幼児、生まれたばかりの赤ん坊の貧困ゆえの理不尽な絶命の瞬間など、次々と目を覆いたくなるような場面に遭遇する。しかし、それをもって悲しみややるせなさ(もちろんんそうした感情もある)ばかりが喚起されるようでは、生命というものについて思いを及ぼしたとは、とても言えないだろう。私に限っていえば、この映画を鑑賞し、ゴミ山の中で生命が生まれたり途絶えたり育まれている光景を目の当たりにすることで、自分自身の生命に対する実感ということにまで思いがおよんだ。とても素朴なことだが、彼らが生きているように私も生きているし、私が生きているように彼らも生きているんだなあと思った。
「たとえ餓死をしても悪いことはしない」「学校に行きたい」…本作において、子どもたちからこんな声が出た。特に後者は登場したほとんどの子どもが口にしたのではないだろうか。日本にいる子どもたちにも、ゴミ山で生活している子ども達を見習うべきだと思う。
Cさん
まずこれを作った人たちのことを考えてみた。それはきっと私たちと同じように、とくに不自由もなく暮らしてきた人たちなのだろう。私と同じように家に帰ればご飯があって、ちゃんと暮らす家もあるし、寝るベッドもある。ある程度のおしゃれができ、その職につくための教育を受けることができるだけの財源があって。
そんな人たちを前に、あの街の人々はどう考えただろう?育ちや環境によって考え方は変わってくるけれど、私なら、もの凄く惨めになったと思う。自分を映す人たちはこうも自分と違うことをまざまざと見せつけられて。羨ましい、妬ましいという感情は醜いかもしれないけど確かに人間にはそんな感情が存在するのだから。
そして再び考えた。この映画を撮ることは確かにこの現状を知らせるという点で役にたっているのだろう。無駄だとは思わないし、むしろ必要だと考える。でもその制作費で彼らを少しでも救うことは出来なかったのだろうか。「施し」など受けたくないかもしれない。これは同情で、彼らはそんなもの欲しくないのかもしれない。それでも私は思わずにはいられなかった。結局、これを作って得たお金はどうなるのだろう?
私たちは、これを見ることで、何かを変えることができるだろうか?こうして感想を書くのは私たちにとっては重要で。何しろこれは“課題”なのだ。やらなければならないのだ。だからやる。しかしそれで終わらないだろうか?今の私にはどうすればいいのかわからない。何ができるのか、調べることはできる。けれども、それがわかったとき、果たして私はそれを実行することが出来るだろうか?私はどうしても、自己を犠牲にしてまで彼らを救いたいと思えるかどうか不安だ。私は私のしたいこと、望みがあり、それを成すための行動を全て彼らのために行えと言われても無理だ。私にはそんな行動はとれない。醜いと言われようが自分勝手といわれようが私は私の要求があって。こういう自分勝手な思いが、ああいう人たちを生んでしまうのかもしれない。
私は、映画の中で(うろ覚えだが)、どんなに苦しくても恥ずべきことはしない、と言っていた少女を思い出す。そうまで誇り高くあれる彼女が羨ましいと思った。こんな恵まれた場所で暮らす人間達の街でさえ犯罪が後をたたないというのに。苦しい状況にいる人間にこそ、そういう強い心が育つのだなと思った。もしも私があんな暮らしをすることになったら。もしかしたら案外順応してしまうかもしれない。人間の適応力は想像以上に威力を発揮するものだから。それでも嫌だと考えずにはいられない。私はとても弱い人間だから、あの映画の中の彼らのように、それでも笑って暮らすのはたぶん無理だ。そんな人間が、彼らの暮らしをそうこう言うことは出来ない。
ゴミ捨て場の閉鎖は、彼らをより貧しいものとした。危険でも何でも、あそこで暮らしていく人間にはどうしても必要なものを、勝手な見解で(もちろん彼らを思っての行動であろうが)閉ざしてしまうのは果たして正しいのだろうか?少なくとも彼らは、それによって苦しんでいて。死者を出す場所を閉ざすのはある意味当然の判断だが、本当にそれでいいのだろうか?しかし開ければまた犠牲者が出るかもしれない。私にはこの問題は大きすぎて解決させる方法が思いつかない。